コロナの街・part12

次々出される行政のコロナ対策は、何かちぐはぐで、しかもその非整合性がどんどん増えていく気がします―GoToキャンペーンが感染拡大の原因だというエビデンスはない、と言うが、人の移動と接触が根本的危険因子になる、と流行初期に聞かされたのは夢だったのか。経済を回すというが、観光と飲食だけが国の援助を必要としているのか。ポイント制だのパック旅行だのというシステムは、支援に不可欠なのか。

移動も接触も、マスクをして時々消毒液を手に振りかければ大丈夫、どんどん遊びに行こう、と政府が保証したかのような錯覚を振り撒き、いわれのない楽観を拡げたのが、このGoToだったのではないでしょうか。都知事と首相の合意(65歳以上と基礎疾患がある者だけの自粛)は、GoTo批判を棚上げした上での妥協案だとしか思えません。方程式の( )内に、選挙対策と五輪準備とを代入すると、ちぐはぐな理由が解けそうです。

しかし今回判ったのは、飲食業と観光業とが殆ど日銭暮らしの業界であること、特に都市部では、こんなにも多くの人が「不要不急」(あればもっといい、が)の商売で生計を立てていたことでした。自粛要請協力金¥40万は一晩の穴埋めにしかならない、とインタビューに答える居酒屋主人の言を、客はそれだけの儲けを支払っていたのか!という驚愕を以て聞きました。今後も一朝有事の際を考えると、サービス業に頼る経済構造は危険だと言わざるを得ません。私たちは知らず知らず、ここ30年間、バブリーな価値観の中での社会変革を、見過ごしてきたのではないでしょうか。

ではどうすればいいのか。エッセンシャルワークだけで社会が成り立つわけではない。生き甲斐の問題もあります。経済には全く素人ですが、現代日本の社会構造、あり得べき社会のための価値観形成、そんな言葉が、このところ頭の中で右往左往しています。