懐旧談

1964年10月24日の夕方、私は五輪閉会式の国立競技場にいました。大学2年でした。東洋の魔女、裸足のアベベ、ヘーシンク・・・57年前の懐旧談を国会討論で語られても、若い世代には伝説でしかなく、老世代にとっても違和感しかありません。

1956年に「もはや戦後ではない」と謳った経済白書が出ました。その2年後、アジア競技大会が東京で開かれ、敗戦から立ち直った日本を内外に披露すべく、五輪誘致に向けて急ピッチで準備が進みました。東海道新幹線東京モノレール、武道館建設等々、あれよあれよという間に大工事が続いたのです。五輪を身近かに感じたのは、大学の上級生たちが語学力を活かして通訳に選ばれた時くらいでしたが、夏になり、デパートで靴とバッグを買おうとして、その値上がりぶりに驚きました。日本橋周辺が重苦しく高速道路に封じ込められ、在来線が不便になり、嬉しいことばかりではありませんでした。

あの日、黄昏れて閉会式が始まりましたが、各国選手団が自由気ままに、浮き浮きと会場へ入ってくる一方、グラウンドの一隅では馬術の下位決定戦が延々と行われていて、何ともちぐはぐでした。TVで観た方が感激できたかもしれません。

国会の党首討論で思い出話を聞かされ、つくづく日本は未だ後進国発展途上国)だと思いました。政治における老害というワードも頭に浮かびました。「安心安全」なるリフレーンは、「責任は総理大臣である私にあります」と繰り返しつつ遂に責任を取らなかった前首相と全く同じ(世にこれを、空念仏と言います)。64年五輪は、歴史の文脈の中に置けば光輝もあったでしょうが、いまこの時期に、国民挙げて歓迎できる催事ではない。

私にとっては中学生で観たアジア大会の記録映画の方が、強い印象を残していますー殊に、閉会式で全員が歌った賛美歌「また逢う日まで」が。