コロナな日々 12th stage

瀬戸内の島で暮らしている教え子の年賀状には、東京は「無視コロナ」としか見えない、気をつけるように、と書き添えてありました。大晦日の渋谷は結構な群衆がいたようですし、12月中、この界隈でもオジサンたちは午時には連れ立ってランチ、退け時には呑み屋を物色。地方から見たら呆れるしかない数字が連日出て、全国に広がっている、と見えるでしょう。GoToの実施が早すぎ、停止が遅すぎたことが影響を及ぼしたのは明瞭です。マスクや手洗いは「さしあたってそれしか方法が無い」という予防策であって、万能ではない。接触を減らし、移動を避けることが感染症予防の基本です。

そもそも感染拡大阻止と、経済を「回す」ことを、政府が二律背反的に唱えるのは正しいでしょうか。コロナを停めるのが第一、それによるダメージは別途手を打つのが政治の役目ではないか、ついでに電子マネー普及だのマイナンバーカード普及だのを抱き合わせに目論むような姿勢でなく。そこそこのカネをばらまくが、肝心なところは「個人の心がけ」にお任せ、というのは太平洋戦争の前に歩いた道に似ています。

ガースーに言いたい。いまこの状況では、まず政権交代は起こらないでしょう。ならば今こそ、一時の悪評を被っても「政治家の覚悟」を示す時。この期にあって五輪開催を唱える老体とは訣別し、携帯料金だの不妊治療だの平和時の「善政」は後に回して、いま食えなくなる人たちを支える方法を考えながら疫病流行を遮断すべきです。不動産の賃料を一時的に抑制するとか、今後も必要な医療福祉関連や食料生産への転業を支援するとか、思い切った施策の知恵を出してはどうですか。

銀座の高級和牛会食に出た晩から、風向きは変わった(国民が新首相に期待しなくなった)と知るべきです。コロナは、首相就任のうきうき気分も、会食人数が4人か5人かも、区別はしないでしょう、年末年始を区別しないように。