源平の人々に出会う旅 第47回「石川県・義経北国落」

 文治元年(1185)、義経は、腰越から都へ戻る途中、護送していた平宗盛父子を近江国で処刑します。その後、頼朝から義経暗殺を命じられた土佐房昌俊は、六条堀川の義経の宿所を襲撃しますが、失敗して義経に斬首されます。11月、義経は船で九州へ逃れようとしますが、暴風により船が難破してしまい、吉野経由で北国へ向かいます。

【弁慶・富樫像(小松駅前)】
 こうして義経は『平家物語』から退場しますが、『義経記』では奥州に下るまでの北国落ちが語られます。特に有名なのは、山伏に扮した義経一行が、安宅の関小松市)で関守の富樫介に見咎められ、弁慶が勧進帳を読んだ逸話です。

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義経の松】
 無事に安宅の関を通過した義経一行は、大野(金沢市)で休息し、その際に、義経が松を植えたとする伝説があります。現在の松は二代目で、大野川に架かるみなと橋のたもとにあります。

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義経の一太刀岩・弁慶二太刀岩】
 能登半島能登金剛(羽咋郡)には、義経と弁慶が太刀で切り割ったという伝説を持つ巨岩があります。
 義経がどのようなルートを通って、奥州の藤原秀衡の許までたどり着いたのかは不明ですが、秀衡死去後の文治5年(1189)閏4月、秀衡の子泰衡に攻められて、31年の生涯を閉じることになります。

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〈交通〉
安宅の関JR北陸本線小松駅よりバス
義経の松…JR北陸本線金沢駅よりバス
義経の一太刀岩・弁慶二太刀岩…JR七尾線羽咋駅よりバス
                      (伊藤悦子)