コロナな日々 9th stage

数日前、好天に誘われて、大塚駅までパンを買いに出かけました。秋薔薇を見られるかなと思ったのですが、ぽつり、ぽつりと咲いている花は、却って寂しい気がしました。野菜とパンを買って帰りのバスに乗ったら、背後の席からしきりに咳き込む声。やはり街へ出るのは冒険だと思いましたが、身体は正直に運動を喜び、その夜は熟睡できました。

つまり罹っても治る範囲にいなければいけない、それが現在の日本の「新しい日常」だと考えて、はやくかかりつけ医を決めなければと、インフルエンザの予防注射を受けがてら、初めての医院に出かけました。どこかの専門学校の集団予防接種を引き受けているらしく、待合室は若い人で一杯。出された体温計は旧型、特に消毒液も置いてないし、若い人たちは屈託なく、マスク越しに大声で談笑する。これを日常と考えて、怖がらないようでなければ暮らせないのです。

60歳の内科医は、この町出身で、3代目だということでした。往診もする、夜間もここに住んでいる、ということなので、終末の看取りも頼めるかかりつけ医を探しに来た、と率直に言いました。何だか見合いみたいだなあと思いましたが、医師の方も呑み込んでくれたようでした。肝臓の研究で科研費を獲ったこともあるらしい。職業を訊かれたので、文学研究者だと言ったら、高校の古文で『古今著聞集』を習った、と言う。あれは面白いですよ、医師の説話もあるし(そうだっけ?)、と言って出ました。

帰りに南瓜のプリンを買って帰ったのですが、ツイッター上でアイルランド大使館が、ハロウィンは元来、ケルト族の夏送りの祭で、蕪でランタンを作っていたが、アメリカ大陸へ渡ってから南瓜になった、と書いているのを見て、どうも北欧と南瓜とでは不釣り合いな感じがあったのが納得できました。よし、来年からは蕪を食べよう。