歳月

30代半ば頃、横浜の青葉台に住んでいました。近くに軍記物語研究を志す仲間が夫婦3組住んでいて、ちょっと離れて村上光徳さんがいました。いつしか、ここは軍記村、村長は村上さん、という冗談が真実になり、会場の確保も難しかった軍記物語談話会(現軍記・語り物研究会)の世話役を引き受けました。研究会の会場は高校の教室を借り、源平盛衰記の校訂本文と索引作成を、その中のメンバー3人で始める心算でした。

しかし、それぞれに人生の登山口で精一杯、子育てや出世の足がかりに必死になって他人の価値観に気を配る余裕がなく、私自身は源平盛衰記の本文公刊事業を貰い受けて、都内に引っ越しました。村上さんも亡くなり、3組の夫婦はみな伴侶の片方を見送り、私も地方勤務になって、いつの間にか足が遠のきました。

その中の1人から電話があって、中国茶を土産に買ってきたまま1年半経ってしまった、と言う。我が家には、区から喜寿祝に貰った甘いものがあるから来ないか、と言ったら、今日やってきました。この間墓参や葬儀で一緒になったことはありましたが、ほぼ40年ぶりです。かつては正月4日に、必ず我が家で家族連れの宴会をしていました。

よもやま5時間お喋りしました。逝った人たちの話、身内を看取った話、家族の変化、教育界の様変わり・・・彼は愛妻を亡くしてから家族を一身に背負い、躁鬱病を発症。今は子供たちも成長し、自由の身です。具合のいい時には中国旅行をして、現地の人と意気投合し、いつか中国語通訳の世話役をするのが夢だそうです。

振り返れば迅速に過ぎた歳月、しかしその間に翻弄されつつやり過ごした幾多の危機や転換点を振り返っても、もうすべては見えません。歳月が忘却を以て、人間を膨大な記憶の奔流から掬い上げてくれるのを、有難いと思うべきなのでしょうね。