源平の人々に出会う旅 第33回「神戸市・小宰相と通盛」

 寿永3年(1184)年2月、一の谷合戦で多くの公達が討たれましたが、平教盛の子・通盛もその一人です。通盛の北の方・小宰相は通盛の死を嘆き悲しみ、夜の海に入水してしまいます。

【氷室神社】
 一の谷の平家の陣内では、通盛が弟教経の仮屋で小宰相と寛いでいましたが、それを見た教経に叱咤され、小宰相を返します。現在の氷室神社付近が仮屋と想定され、二人が別れた場所とされています。

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平盛俊塚】
 氷室神社の西南に盛俊塚が建っています。『平家物語』の「越中前司最期」では、越中前司盛俊が猪俣小平六に騙され、深田に突き落とされて首を取られてしまいます。

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平知章墓(明泉寺)】
 同じく「知章最期」の舞台もこの付近です。児玉党が知盛を見つけて追いかけるのですが、子の知章が間に入り、父を庇って討死します。

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【比翼塚(願成寺)】
 小宰相と通盛の五輪塔が願成寺にあります。小宰相は入水した時、身重でしたが、その子も道連れとなりました。しかし、五輪塔の前に建つ碑は、子を日吉姫として、源範頼の側室となり浄円寺を建立したと記しています。福井県越前市では、範頼が当地に居住し、妻日吉姫は浄円寺を建立したとします。通盛が越前守であったことから通盛・小宰相と関連付けられたのかもしれません。

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〈交通〉
神戸電鉄長田駅・湊川
       (伊藤悦子)