谷口耕一さんの「延慶本平家物語における維盛の高野巡礼ー延慶本特有の語句の由来をめぐってー」(『古代中世文学論考』第52集 新典社)という論文を読みました。
平家物語巻10は一の谷で捕らえられた重衡と、それ以前に脱落した維盛の物語が主な内容となっていますが、延慶本でも巻10(第5末)の大半がこの2人の物語で占められています。延慶本の特色は維盛が入水前に高野山を巡る記事と、更に粉河寺に参拝する記事が詳しいことですが、その高野山巡拝記事にはやや特殊な語彙が見られること、巡拝する堂塔の配置が史実に合わないことに注目して、谷口さんは延慶本の増補改訂の環境を推測できるのではないかと考えました。
谷口さんはすでに維盛の粉河寺詣についての考察を書いている(「千葉大社会文化科学研究科研究プロジェクト報告書」103 2004/2)のですが、こういう報告書はなかなか一般には入手しにくいので、まとめて単行本化して欲しいものです。
十数年前、谷口さんの恩師栃木孝惟さん(私には大学院の先輩に当たる)と私とでチームを組んで、校訂延慶本平家物語の校勘・出版を試みた時、中心になって牽引してくれたのは谷口さんでした。高校教諭の多忙さの中で、細かな作業に厭な顔もせず、知恵と手間を提供してくれました。巻10を担当したのは私ですが、この維盛記事の特異性に彼が注目していたのはその頃からです。
本論文の結論は、延慶本巻10ー11「惟盛高野巡礼之事」は室町時代になってから、根来寺蓮華院の僧によって改訂されたであろうということ、また記事中に禅宗の教義と関係ある語が見え、根来寺では禅宗の教義を援用して密教の解釈を行っていたことを考えると、延慶本の他の部分についても関連してくる可能性がある、ということでした。