阿波国便り

徳島の原水民樹さんから、DVDが送られてきました。『保元物語崇徳院関係と、『平家物語』にまつわる伝承地の写真が収められていました。

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小宰相供養塔(鳴門市)

小宰相は平通盛の愛人で、平家都落に同行しました。一ノ谷合戦の前夜に、それまで子のなかった通盛に妊娠を打ち明けて喜ばせるのですが、彼は討ち死にし、庇護者のいない彼女は乳母の説得を振り切って、屋島へ向かう船から入水します(語り本系巻9「小宰相身投」)。思い詰めた人間の心理と春の朧月に照らされた海上の自然描写との関係を、小林秀雄が絶賛した場面です。現地では今も、子授けの信仰対象なのだそうで、石塔の正面には「寿永三年甲辰年 小宰相局 二月十四日」とあり、右側面には「藤原形部卿範賢女/越前三位道盛卿北方/弘化三午年/十二月建立」、左側面には「衣かけし/人は一代/松千とせ」の句の下に、「世話人/仙次郎」に続けて女性6名の名が刻まれているそうです。女性たちが、小宰相の運命に共感を以て建てた供養塔なのでしょう。

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白峰寺境内の伝西行

保元の乱で敗れ、讃岐に流された崇徳院を供養する白峰寺境内にある石像だそうです。西行が松山に崇徳院の旧跡を訪ね、「よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせむ」と詠んで、院の魂を鎮めたという話は、『古事談』に見え、『保元物語』や読み本系『平家物語』に採り込まれ、さらに上田秋成の『雨月物語』で両者の討論に構成されて有名です。土地の人の手作りの帽子を被せられて、お地蔵さんのように親しみのある風貌になっています。崇徳院の怨霊は、明治維新の頃まで恐れられていました。

原水さんからの手紙には、「コロナとは持久戦、油断しないように」とありました。