昔の同僚

40年以上前の同僚から、年始の電話を貰いました。都立の農業専門の高校に勤めた時、親しくして頂いた先輩です。当時は農場担当の実習助手というポストがあり、教員制度改革の際には教諭になれる特典もあったのですが、断って、実習科目のみを教えていました。国語の教科書に選別の思想について述べた評論があり、雑草抜きの例が挙がっていたので、連携授業をお願いしたこともありました。当時、教材作りは謄写版でしたが、ガリ版用の字体はプロ並みで、多色刷りも上手でした。

未だ都教組が強かった時代でしたが、反戦や教育制度改悪反対の闘争には参加するが、経済闘争には参加しない、という主義(逆の主義の人の方が多かった)を貫き、でも私たちとしては教室に残す保安要員をお願いできてたすかりました。東北の出身で、持ち家を建てる時、先祖代々の山から檜材を取り寄せて建てた、とさらりと言われたので、私たちは言葉もありませんでした。

潔癖なクリスチャンで、私が転任する時、教頭が送別会会場にフラメンコの実演のあるワインバーを選んでくれたのですが、舞踏の間ずっと目を塞いでいるので、どうしたのかと訊くと、「こういう挑発的なものは・・・」と言われました。

定年後、満蒙少年開拓団のことを詳しく調べてドキュメント本(『先生、忘れないで!』梨の木舎 電子版あり)を出したり、富山の薬売りの縄張りのことなども調べたりして、執筆活動(『大陸の花嫁』『教科書に書かれなかった戦争』など いずれも梨の木舎)をして来られたようです。この頃は蘭を育てている、とのことでした。個性的で、独自の信念を貫く教員が、あちこちにいる時代でした。