軍記物談話会抄史(3)

昭和43年に始まった学園紛争は、燎原の火の如く日に日に過激になり、大学は次々に閉鎖され、関連施設も使えなくなり、例会の会場探しに困りました。殊に「軍」記の「談話会」で、学生も参加すると言うと、怪しい団体と勘違いされて(されても仕方がない。簡単には説明できません)、塩でも撒かれそうな断られ方でした。それまでは大学の同窓会館や発起人世代の会員の勤務先大学、ときには今成元昭さんが住職だったお寺で開催していたのですが、その後数年間は、忠鉢仁さんの勤めていた麻布学園(高校で日曜日に会場を貸してくれるのは、有難いことです)に世話になり、新宿区立勤労福祉会館を借りたりもしました(今のようにネット予約などはありません)。

事務局は加美宏さんの自宅から、昭和46年に駒澤大学の村上光徳さんの研究室に移りました。その当時は委員選挙などはなく、発起人の会員から少しずつ指名されて、私たちも運営の実務を手伝うようになりましたが、未だ大学専任教員なんかではありません。手弁当の同人会から始まったのですから、互いにやりくりして続けました。

ある年、例会通知葉書の発送を、水原一さんの自宅に呼ばれて手伝ったことがあります。遠い所です(多摩地区でもあり、最寄り駅からもまた遠かった)。会員数は50を超え、100にはなっていなかったと思います。ガリ版で刷って、1枚ずつ古雑誌に挟んでインクを抑え、水原さんが毛筆で宛名書きをする。午後早くから始めましたが暗くなっても、灯りをつけようと言われない。勿論、暖房も入れません。手許が読めなくなって電灯をつけ、ようやく終わりました。

我が家も倹約家庭だと思っていたのですが、舌を巻いて帰ったのを思い出します。それでも、大先達の身近で作業をするのは、ちょっとときめく経験でもある年頃でした。