赤ままの花やとんぼの羽根

中野重治に「おまへは歌ふな おまへは赤ままの花やとんぼの羽根を歌ふな」で始まる「歌」という詩があります。国語の教科書にも載っていたことがありますから、よく知られていると思います。若い頃、この詩が好きでした。究極の抒情歌だと思っていました。自らに禁じる命令形の強さ、そのぎりぎりの葛藤が切ない(しかし当時の評論では、「こういう形で、重治は赤ままの花やとんぼの羽根を歌ったのだ」というコメントは、必ずしも多数派ではなかったように記憶しています)。

平家物語を研究し始めた当初(昭和40年代早々です)は、永積安明、石母田正らの歴史社会学派に憧れていました(今でも)。その世界観、作品の読みの新鮮さ、論文の文体等々を尊敬していました(10年くらい年長から同世代まで、そういう人は多かった)。しかし、どうしても不審だったのは、彼らが平家物語の抒情的な面を否定的に評価し、後退と捉えていることでした。

大学院の先輩である塚本康彦さんが、平家物語の抒情性を否定する歴史社会学派に対する疑問を「日文協日本文学」に書いた時(昭和43/8)、励まされた気がしました。どうにかして平家物語特有の抒情性を言葉で捉えたい、と思って悪戦苦闘、「哀艶」という語を使って論文を書きました。就職した先が、教員を軟禁状態にするようなパワハラの職場だったので、調査や共同研究に出られず、やむなく、覚一本を「読む」論考を連作のように書き続け、まとめたのが『平家物語論究』(明治書院 1985)です。

あれから40年ー平家物語は正しく認識されているでしょうか。抑え込むことによって高まる情動の淵源を、過不足なく把捉し、文学の言葉で説明できているだろうか。自他に問う、このごろです。