人格主義倫理学

東大の死生学・応用倫理センター主催の公開講座を聞きに行きました。刑事法が専門の秋山悦子さんの講演「高齢者医療に関する人格主義倫理学の考え方」です。ヒポクラテスの誓いから始まった科学的医学とその倫理の時代がおよそ1900年、その後16世紀から発展したカトリック医学倫理学、20世紀後半になってからの個人主義生命倫理学から人格主義生命倫理学への流れが説明され、用語を苦心して翻訳しながら生命に関する倫理学を日本へ普及させてきた、熱意と実績がよく分かりました。

そして英米法諸国に始まった個人主義生命倫理学とEU諸国に始まった人格主義生命倫理学の違いを説明、後者ではナチス政権下の優生学が犯した過ちへの反省が戦後の出発点であったこと、それゆえ安楽死は不可というのが共通理解であること、しかし身体を持った「人格」全体と釣り合った医療(医療技術の進歩そのものを目的としない)でなければ人格の尊厳が保てないと考えられるようになったこと、医師の職務は病気の治療だけでなく、緩和ケアや終末への支援も求められるようになったことを述べました。

イタリア医師会の「職業上の誓い」、同看護師・保母・保健士協会の業務規定を紹介したのち、2014年の教皇庁生命アカデミー大会で発表された「高齢者のケアに関する宣言」、2017年11月の教皇メッセージ「生命の終わりに関する諸問題」(世界医師会EU部会・教皇庁生命アカデミー合同会議)を紹介して、キリスト教国における現在の生命倫理学と法学の考え方の方向を示しました。

聴衆は熱心に聞き入り、質疑応答も行われましたが、医療現場の若い男性から出た、現実には患者も医療従事者も介護者も孤独なまま終末に向かっていかねばならない、それに対応するにはどうすればいいのだろうか、という問いかけが印象に残りました。

18:45から始まったのですが、その前に郵便局や美容院で用足しをしたので、すっかり暗くなり、近くの100均ストアでおにぎりを1個買って、始まるまでの時間に安田講堂前のベンチで食べました。時計台の針がゆっくり動くのを見ながら、ほぼ50年前、こんな時が来ることは予想もしていなかったと、苦笑しました。