中世文学と「連想」

夕方から東大中世文学研究会にオンラインで参加しました。発表は木下資一さんの「中世文学における「連想」の問題ー『続古事談』の説話配列などをめぐってー」、参加者は26名。昼頃に配られた発表資料を見ると、結構若い仕事内容(作業ががっちりしている、という意味)だったので、凄いなあと思いながら出ました。

木下さんは初めに阪神淡路大震災に触れ、当時神戸大に勤めていたので、今でも亡くなった学生や職員のことを思い出して涙が出る、と語りました。その頃やっていた作業の結果に基づいた発表とのことです。最初に御伽草子『猿源氏草紙』について、隠れた連想関係を活かして読むとどうなるかを述べ、中世文学において「連想」を読み取ることの重要性を説きました。

そして『宇治拾遺物語』で指摘されている2話1類の配列方法を参照して、『発心集』の配列からも説話集の主題に関わる「類纂」、キーワードによる「連纂」の2つの要素を見いだすことができるとし、さらに『続古事談』の説話配列をその観点から考察しました。『続古事談』巻6「漢朝」は、巻6だけでなく巻1とも照応しており、いわば本朝の説話の論証、注釈のような役割も果たしている、というのです。最後に『閑居友』にも2話1類の配列が見られ、『発心集』から学んだのではないかと結びました。

この会が楽しいのは、質疑応答の幅が広く、しかも鋭いところ。今日は新年会も兼ねていたので、学生時代の思い出話も出て、書誌学を早期に学ぶ必要性、書誌情報の怖さ、体験学習の重みなどが、異なる年代からさまざまに語られました。そんな話は45年前に聞きたかった、という声もありましたし、説話配列の連想関係について、著名な仏教文学者と説話文学者の火の出るような論戦の現場に居合わせた話も出ました。

異次元の

昨日の新聞の1面トップは、中国が人口減少に転じたというニュースでした。少子化=国力低下のように書かれていて(しかも少し安堵感があるように見受けたのは、私の誤読でしょうか)、違和感を覚えました。半世紀も前ですが、印度を訪れた時、その人口密度と貧困との二重苦に衝撃を受けました。中国もまた、人口調整に苦心し、厳しい統制を行ってきたことは周知のことです。

他人事ではありません。子供の頃、ラジオから耳にたこができるくらい頻繁に流れてくる、不思議な言葉がありましたーサンジセイゲン。戦争が終わって一気に子供が産まれ、いわゆる団塊の世代が出現、食糧が十分でないところへ(未だ戦災孤児もたくさんいた)これでは養っていけない、と産児制限の専門家が海外から招かれ、婦人雑誌や主婦向け番組では、無計画な出産は無知蒙昧の結果のように宣伝されました。

ついこの間まで、産めよ増やせよのスローガンで、12人以上の子供がいる家は表札に名誉の札が掛け添えられていた(正確な言葉は覚えていませんが、国への奉仕を讃える趣旨だったと思います)のに。

それゆえ私は、少子化対策が声高に叫ばれるとしらけるのです。「異次元の」少子化対策って、何?(だいたい、異次元などという冠詞がついて安心できる政策なんて、ない。バズーカ砲と言われた金融政策の末路はどうか)。担当大臣の言い換えによれば、「漸進的な」の反対語、「大胆な」「前例のない」といった意味のようですが、そう言えばいいではないか。

数さえ多ければいいというものではない。充分に教育を受け、意欲も能力もある人材の比率を保つことが重要でしょう。子供を持つかどうかは、あくまで個人の専権事項です。

阿波国便り・春のことぶれ篇

徳島の原水民樹さんから、先日の「梅干」に同意見だ、とのメールが来ました。何でもかんでも甘くする風潮には、甘党の自分でも賛成できない、とあります。戦時中の砂糖不足から日本人は、甘さ=美味、と勘違いするようになったという説があるそうですが、果たしてどうでしょうか。

年末には徳島も数年ぶりの大雪に見舞われたそうで、先代犬とは雪だるまを作ったが、もうその元気はない、と、膝まである雪の中に佇む愛犬さくらの写真と共に、さすが南国、春を告げる蕗の薹や菜の花畑の写真が添えられていました。

春を告げる蕗の薹

【菜の花は今は食用栽培で、蕾をつけた時点で収穫するので、花が見られるのは、収穫期を過ぎて摘み残された蕾が開く頃です。菜種油を採るために栽培していた昔は、それこそ畑全面が黄金色に輝いていたことでしよう。】

収穫を待つ菜の花畑

わあ、美味しそう!青虫になって片っ端から食べたい。店頭に出る菜の花は小さく折り畳まれ、萎れているので、買ってきたらまず水に浸けて生き返らせます。辛子和えや薄味の煮浸しも美味しいけど、何と言ってもバターで炒めてちょっと醤油を差して軽く焦がす、これが一番(我が家は最近バターをやめたので、胡麻油で炒めます)。

春に一面黄色く咲いている菜の花畑は、各地で菜が異なり、福岡ではよく見ると、茎や葉が紫色をしています。冬には漬物にするソウルフード、高菜の花なのです。かつては菜の花は採油用に栽培されていました。山村暮鳥に「いちめんのなのはな」を繰り返す詩がありますが、今は観光用に咲かせるのでしょうね。

【あと2ヶ月あまりで桜が咲くと思うと、なんとなく幸せな気持ちになります。さくらが、「私の季節だ」と言わんばかりに走り回ることでしょう(原水民樹)】。

玉ゆら79

歌誌『玉ゆら』79号の編集後記に、今号の渡英子さんの作品評は「今後の指針となる行き届いた評」とあったので、注意して読んでみました。前号掲載作品への寸評です。

なるほど、単なるお仲間の心温まる感想とは一味違うな、と思いました。1首の読みが深く、選ばれた語を一々吟味していて、短文で示す注目点がくっきりしている。さすがプロの評です(私は、作歌には素人ですので)。例えば、「慰藉の言葉ではなく病む人へ朝な朝なひらく花のみずみずしい生命力を伝えて余韻がふかい」と評された歌は、

身めぐりに病む人のあり大輪の紺のあさがほ咲くを告げなむ(秋山佐和子)。

「「ありがとう」の意のロシア語とウクライナ語の違いを、野鳥の声の「聞き做し」から詠む(中略)。独立を守るのは自国語を守ることだ」と評した歌は、

スパシーバのウクライナ語はジャークユ国境のなき野鳥のさへづり(同上)

でした。作品世界を歪曲も誇張もせず、しかし広げて見せる手腕こそ批評でしょう。

坂のなき町より来れば上りては下る感触足裏にうれし(吉崎敬子)

には、「山の手線から都営荒川線に乗り替えての町歩きが楽しそう。町並みは変わっても地形は同じ。過去と現在の往還を「足裏」がとらえている」とあります。

風通る奥の座敷に寝転びて『女の一生』読みし高一の夏(鈴木久美子

へは、「「奥の座敷」の「奥」が、夢見る少女だったジャンヌの現実の生の苦悩を暗示するようだ。文学全集の配本を待ちかねて読む時代があった」と。

母のゐたホームの窓につく灯り母の部屋にはもう別のひと(伊東民子)

やうやくに自由になれた母さんはきつとまつ先にふるさと野田へ(同)

に対しては、「「自由」に現世の母の不在に気付くのが切ない」と述べます。

藤原伊通の除目書

手嶋大侑さんの論文「宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵『除目申文之抄』と藤原伊通の除目書『九抄』」(「古文書研究」94号 2022/12)を読みました。手嶋さんは日本中世史が専門、論集『明日へ翔ぶ 4』(風間書房 2017/3)には、「年官制度の展開」を書いています。宮内庁書陵部に所蔵されている『除目申文之抄』と題する資料が、じつは逸書『九抄』の一部を南北朝に書写したもので、その中の「土代巻」に当たるであろうと推定し、当該資料の収める除目の事例一覧表を掲げています。

藤原伊通(1093-1165)は、九条大相国とも呼ばれた平安末期貴族。廉直で、朝政に対する見識のある政治家として、また毒舌家としても逸話の多い人物です。平治物語、今鏡、古事談、古今著聞集などに多くの説話が残っていますが、殊に平治物語では、彼の吐く鋭い正論、警句が痛快です(それゆえ平治物語作者に擬する説もありますが、例えば読み本系平家物語では長方が同じような役回りを務めており、作者説にはいま1度、別角度からの検証が必要でしょう)。

伊通は文化人でもあり、有職故実を重んじ、二条天皇への意見書として『大槐秘抄』を著し、今は逸書となってしまった『九抄』(『九条相国抄』『除目抄』とも)全8巻を録しました。『九抄』は保元元(1156)年から永万元(1165)年の間に編まれたとされ、除目に関する諸説、口伝や諸書の記事を集成して伊通自身の見解を加えたものと考えられています。

手嶋さんの考証は手堅く、すでに知られていた資料の本性が判明した、ということになるでしょう。なお本資料の含む内容の下限は、外題にある年記より下がって、永久4年(1116)であるということも指摘されています。

共通テスト

昨日、肉屋へ牛肉を買いに行ったら、こんな路にまでパトカーがうろうろしていました。ショーケースには、¥1000の霜降り肉しかなく、いつも買う¥850のすき焼き用がない。なに、今日は共通テストの日だから特別なの?と訊いたら、女将がにこにこしながら、そうですと言う。試験が終わった子供に食べさせるのでしょうか。未だ受かったわけじゃないのに、と言いながら、我が家は¥680の細切れを買うことにしました。

去年は大変だったねえ、もう1年前になったんですね、その後いろんな事があったから、などと話していると、同年代の息子を持つ若女将は、あんなにも受験勉強は一生の大事なんですね、と言う。今どき、共通テストなしで入れる大学はいくらでもあるのにね、と言い捨てて帰りましたが、ふと自分の言葉に、改めて共感しました。共通テストだけが人生を決める、と思い込んでしまう18歳は、愚かだけど可哀想。国立大学という制度もなくなり、大学定員は大幅に余り、各大学の選抜方法も多様化した今日、なおも全国一斉に会場に集めて実施するペーパーテストは、果たしてほんとうに必要なのでしょうか。入試センターは今やビッグビジネス、その雇用問題があるのかも知れませんが、各大学の教育事情や、日本の高等教育の水準確保という問題を冷静に検証してもなお、コスパが釣り合うのかどうか、疑問に思っています。

今朝の新聞で、国語の問題をざっと見てみました。読まねばならぬ分量がかなり多い。作り込んだ問題だということは分かりましたが、3題とも、長い問題文のほかに随伴する文章も読まねばならず、しかも文体の違う文章(会話体など)が付けてある。素早く情報を選別する能力が要求されているのでしょうが、学力は正確に測れるのかしら。センター試験以来、順位をつけることが目的化しているような気がするのは、僻目かな。

梅干

昨晩遅くツイッターを覗いたら、梅干離れという#ができていました。若年層の梅干需要が激減している(ここ20年間で4割になった)、という報道への反応です。リツイートには、最近の梅干は高すぎる、とか、甘すぎたり、味付けしたりした商品(調味製品というらしい)ばかりで本来の梅干が店にない!とかいう声が溢れ、日ごろ私が思っていたことなので、思わず「いいね!」を押したくなりました。ツイート世代と、この問題については同意見なんだ、と意を強くしたのです。

もともと和食米飯からの離反があり、減塩運動もあって、味噌や醤油も含めて若年層が離れつつあるのでしょうが、確かに近年、梅干の地位は大きく低下しました。今どきの梅干は高すぎ、正統的な梅の味を失い、さらに付け加えれば粒が大きすぎます。

かつては旅館の起き抜けには、梅干に砂糖と醤油をまぶしたものが、熱い番茶と共に提供されました。学生時代に奥の細道一周旅行をした時、福島の民宿でこれが牛乳と一緒に出された(当時、「1日牛乳3本の政治」というキャッチフレーズで、国民の栄養改善を野党が唱えていた)のには、まごつきましたが。香港旅行で、これをからからに干したような物が2粒ずつ、キャンデーのように紙にくるんであるのを見つけ、美味しいなと思って買いました。弁当には生粋の梅干が必ず1粒、腐敗防止に入れられたものです。

山田風太郎が、晩酌は梅干1粒を肴に、と書いていて、かっこいいなあと憧れました。実際、梅干1粒で1合は呑めます。肴がそれだけなら、やや甘めに漬けたものがいい。

和歌山へ行くと、じつにさまざまな梅干関連商品が開発、販売されていますが、練梅など簡単に料理に応用できる商品を、レシピつきで広めるのがいいのでは。マヨネーズやクリームチーズに混ぜると、洋風にもいけます。