国際家族2023

鳥取大学での教え子、今は米国暮らしの安宅正子さんから、恒例の年次報告が来ました。ソフトウェアの会社に勤める夫と娘2人の家族ですが、長女は夫の母国アイスランドの高校に留学、今はヴァーモント州立大学に入学、部活は水泳の跳び込みで各地に遠征、寮生活だそうです。次女は親元で高校生、ダンスに熱中、車の仮免許を取った(マサチューセッツ州では16歳から免許が取れる)そうで、母親に似て活動的な姉妹です。

夫君は週2日以外は自宅勤務でいいのに毎日出勤、コロナ禍で会社の食堂が昼食無料になったそうで、妻は密かに、そのためではと考えている節があります。日本語を熱心に勉強して常用漢字が読めるようになったとのこと。

安宅さん自身はいま短大の2年生、理学療法士助手の資格を取るための研修期間中。16人入学して、今は8人しか残っていないそうです。

インターンは短大の理学療法士のアシスタント(physical therapist assistant)の必修科目です。週40時間7週間x2、通いの患者さんを受け入れるところで7週間、そこで寝泊まりしている患者さん相手(つまり老人ホームや病棟)で7週間です。患者さんはたいていお医者さんから送られてきます。手術前後の患者さんも多いのですが、入院日数は日本よりずっと少ない(入院費用がとても高いので)。研修は、インストラクターと相談しながら多様な経験が積めるように、終了後は1人で仕事ができることが狙いです。私の場合、来週はマッサージを習って実際に行う予定です。また15分ほどの発表のテーマを決めてその職場で発表する、週ごとに報告書を送るなどの宿題があります。一番大変なのは保険会社への報告です。この報告書によって、保険会社が費用を支払う、支払わないが決まりますし、サービスを続けられるかどうかも限られてきます(安宅正子)】。

彼女は米国ではずっと日本語教育をやっていたのですが、これはまた違う分野への勇敢な挑戦。遙か遠くから、応援しているよ。

米国からの年賀状

米国で暮らすYuri Yamamotoから年賀状が届きました。母方の伯母の孫です。夫と6人の子供がいますが、飛ぶ鳥の絵柄のカードには、末娘の著作権マークがついていました。デザインの仕事でもしているのでしょうか。

アメリカでは大晦日の晩に中心街などでイベントがあるほかに、個人でも花火を揚げて新年を祝います。ところが花火の代わりに銃を撃ち上げる人もあるそうで、落ちてくる弾丸に当たって亡くなる人も出て、危ないからやらないようにという新聞記事を見て驚きました。銃が巷に溢れている国ならではの事故です。病院で仕事をする時に銃による怪我人を見かけることもありますが、意外に多いのが、誤って怪我をする例です。亡くなる人もいます。銃犯罪も多く、日本とは全く異なる状況です。

チャプレンは、麻薬、アルコール中毒、自動車事故、自殺未遂、ありとあらゆる苦しみや痛みに囲まれている仕事です。励ますというよりも、苦しみに寄り添って話を聞いたりお祈り(頼まれれば、ですが)をしたり、場合によっては歌を歌ったりもします。

時には患者さんの信仰について話し合うことによって、その人の内に持っている、自分を支えるものを一緒にたぐり寄せる・・・というか、引き出すお手伝いをすることもあります。信仰といっても、宗教団体などに属さず信じるものもいろいろあります。

この仕事の訓練を受け始めてから、自分が変わってきたと思います。死や苦しみと共にある、ということは、今の自分にとっても大切なことです。(Yuri Yamamoto)】

曾祖母の著書『実用造花自在』を図書館で閲覧した時の写真と、家族集合写真が同封されていました。子供たちの配偶者にも、印度・アジア系の名前が見受けられ、まさに国際家族。本家の嫁さんは、彼女から掛かってきた国際電話で1時間半喋ったそうです。

うさぎ

子供の頃、兎を飼っていました。ペットではありません。食べるためです。当時、鶏か兎、たまに山羊を飼うのが郊外では普通でした。我が家は、母の実家が湘南地方に持っていた別荘の離れに間借りしていましたが、飼料の草を集めてくるのは子供の仕事で、近所の子たち数人で出かけていましたから、他家でも飼っていたのだと思います。兎は濡れた草を食べさせると死ぬ、と言われていたので、朝露に濡れていない草を確保するのは結構大変でした。今はペレットか何か、あるのでしょうね。

絵本に出てくる兎は純白で綺麗ですが、飼兎は茶色か黒、絶えずもぐもぐ口を動かしているだけで、ちっとも可愛くありませんでした。第一、糞が臭い。現代のペットは排泄のしつけができるそうですが、そこら中にころころ糞をするので小屋はいつも臭いました。

調べてみると、白くて目が赤い兎(日本白色種)はアルビノ種を固定したのだそうで、野兎の冬毛は白くても目は黒いのだそうです。近代初期には投機の対象になるほど流行し、日清・日露戦争中は防寒具の毛皮の需要、戦後は情操教育として小学校で飼育することが多かった、という説明には思い当たる節が多い。すると因幡の白兎は目が黒かったのでしょうか。戦時中は、白毛赤目が日章旗のイメージに合うと、兎汁を日の丸鍋と呼んだという。近代史の喪われた部分を突きつけられました。

絶えず腸を動かしていないと死ぬのだそうで、兎はよく死にました。農村出身の祖母が、死体の耳を掴んで笹藪の底に放り投げた時は吃驚しました。我が家で肉を食べた記憶は朧ですが、細切れで汁に入れ、堅い鶏肉(未だブロイラーはなく鶏肉も歯ごたえがあった)のような感じだったと思います。ベストセラーだった『山びこ学校』には、罠で捕まえた兎の皮を「そりそりむきました」という表現があって、印象に残っています。

軍記物語の窓6

関西軍記物語研究会編『軍記物語の窓 第6集』(和泉書院 2022/12)を読みました。関西軍記物語研究会は昨年で創設35周年、2017年12月以来の成果を元に編まれた論集です。本書には論文20本と武久堅さんによる例会100回記念の跋文が収載されていますが、量だけでなく質的にも、昨年の軍記研究の収穫の1つに数えられるでしょう。

各篇とも力作(殊に久保勇・橋本正俊・浜畑圭吾・源健一郎さんたちの論考は、各自の得意分野と水準とが定まってきた、つまり仕事盛りの仕事。城阪早紀さんの覚一本延慶本比較論は、書き終わったその先を期待するに十分)ですが、中でも私が読んで面白かったのは、①辻本恭子「『平家物語』の清盛出生譚」、②長谷川雄髙「『太平記』における「流矢」」、③マッケンジー・コーリ「畠山重忠像の二重性と北条氏」、④西村知子「判官物の展開と『義経記』」、⑤山本洋「計量テキスト分析を用いた戦国軍記の研究の方法論」などでした。

①はいわゆる清盛皇胤説を洗い直し、その真偽ではなく、平家物語諸本が清盛の出自をどう描いているか、人臣の出で初めて外戚となり、遷都にも関わった藤原不比等と重ねる意図があり、殊に源平盛衰記は頼朝を天武天皇に重ね合わせて権力の変遷を描こうとしていると論じます。②は光厳天皇が流矢で負傷する太平記記事の意味を考えるために、「流矢」「白羽の矢」の用例を拾って考察したもの。将門記にこの語がないのは意外で、目に見える語例による作業の限界を感じましたが、着眼点は面白い。③も今後必要となる着眼点。④は著者の永年の研究が体系的にまとまりつつあることを感じさせます。⑤は新しい方法が有効かどうかを吟味していますが、固有名詞、中でも人名を鍵とし、地名、数詞、年月日などに注目するのは正解だと思います。

①~④とも文章の練度はこれからの感もあるものの、身の丈に合った地点から踏み出して、大きな問題を見据えているのが好もしい。それが研究の基本でしょうから。

信濃便り・どんど焼き篇

長野の友人から、どんど焼きの写メールが来ました。彼女自身はこの6日間ずっと高校受験英語の特訓、明日からはいよいよ試験シーズン突入だそうです。

組まれた櫓

【朝方舞っていた雪も止み、予定通り午後から、神社裏の小さな公園でどんど焼きをすることができました。】

燃え上がるどんど焼き

【町内会長が中心となり、子どもから壮年までが作業を分担します。各家庭を回り、正月飾りを集める係、竹藪から竹を切り出し、櫓を組み建てる係、点火から消火まで、火の番をする係、蜜柑や菓子類を参加者に配布する係。徐々に火の勢いが増してくると、達磨や竹がパーンと弾け、みんな一斉に驚きながらも嬉しそうな表情を浮かべます。50名ほど参加する、ささやかなどんど焼きですが、世代間の顔つなぎとなる大事な行事です。】

大分前のことですが、正月に鳥取の錦織さんのお宅に遊びに行き、私は酔い潰れて朝寝したのに、錦織さんは地域の割り当てだからと、朝早くから裏山へ竹を切り出しに行ってどんど焼きの世話に奔走、深く反省したことがあります。

東京でも以前は、神社の境内に大晦日から元旦までと、松明けの日に大きな焚き火が焚かれ、古いお札や正月飾りを「お焚き上げ」して貰えましたが、最近は近隣の迷惑になるからか火は焚かれず、白布を掛けた台に段ボールが置かれて、その中へ投げ込むようになっています。私も今まで手許にあった各地のお守り札を、そっと置いてきました。今年は終活元年、遺族が処分に困る物は無くしておかなくっちゃ。

天正本太平記の節略

和田琢磨さんの「天正本『太平記』の節略本文をめぐる一考察」(「古典遺産」71号 2022/8)を読みました。天正本は、太平記諸本の中でも最も個性のある異本です(新日本古典文学全集所収)。従来、天正本の特徴を論じるに当たっては増補改訂を中心に検討されてきたが、全巻を通じて節略された部分もあり、それを黙過して正しい評価はできない、との視点から論じています。

和田さんは複数の章段が統合された巻39「諸大名降参上洛事」と、異なるストーリーを合流させようとした巻26「洛中変違幷田楽桟敷崩事」「大稲妻天狗未来事」を例に取って検討し、天正本には複雑な過程を節略して話の筋だけを語ろうとする傾向がある、と指摘しています。複雑怪奇になった戦乱の世を、そのまま投げ出すように語るのが太平記の特色なのですが、天正本は話を分かりやすく整理しようとしたことが窺えます。

しかし天正本の改訂は屡々不徹底なままに終わっていることがあり、四条河原の勧進猿楽の桟敷崩れは天狗が起こしたとする記事と、「雲景未来記」(足利尊氏・直義兄弟と執事高師直との対立抗争が予言される記事)とを繋げようとして、文脈に幾つもの齟齬を来たしていることを指摘しました。従来は天正本が政治批判性を弱めているというのが通説でしたが、和田さんはこの改訂を天正本なりの為政者批判だと読んでいます。

和田さんの論調は、先行研究を踏まえながらも真っ直ぐにその見落としを衝くところが爽快です(但し私は、天正本の桟敷崩れは、美女が扇で煽ぐのが異類性を示して不気味なのであり、「女天狗」ではないと考えます)。今後も快進撃を期待したいところ。なお本誌には鈴木孝庸さん「平曲における大音声について」、野中哲照さん「『平家物語』形成の四段階」も載っています。お問い合わせは早大教育学部大津研究室まで。

源平の人々に出会う旅 第72回「京都・仁和寺」

 寿永2年(1183)7月25日、木曽義仲の進撃によって平家は都を出て西国へ落ちて行きますが、『平家物語』には、平家の人々のそれぞれの別れが記されています。「経正都落」もその一つです。

仁和寺北庭】
 宇多法皇仁和寺を御所(御室御所)として以来、仁和寺は皇族出身者が代々住職を務めました(皇族が住職を務める寺院を門跡寺院といい、仁和寺もしくはその住職は御室と呼ばれます)。都落ち当時の御室は守覚法親王後白河院の皇子)でした。

 

五重塔
 平経正(経盛の子・敦盛の兄)は、幼少期に稚児として守覚法親王(史実は覚性入道親王)に仕え、琵琶の名手だったことから、青山という名の琵琶を預けられていました。都落ちの際には守覚法親王に別れを告げ、大切にしていた青山の琵琶を返却します。この逸話は守覚法親王著『左記』にも記されています。


【御室桜】
 境内にある御室桜は、低木で遅咲きなのが特徴です。低木になる明確な理由はまだ解明されていませんが、秋里籬島『都名所図会』(安永9年(1780)刊)には、「山嶽近ければつねにあらしはげしく、枝葉もまれて樹高からず」とあって、かつては強風が原因と考えられていたようです。


〈交通〉
 京福電気鉄道北野線御室仁和寺駅
            (伊藤悦子)