梅干

昨晩遅くツイッターを覗いたら、梅干離れという#ができていました。若年層の梅干需要が激減している(ここ20年間で4割になった)、という報道への反応です。リツイートには、最近の梅干は高すぎる、とか、甘すぎたり、味付けしたりした商品(調味製品というらしい)ばかりで本来の梅干が店にない!とかいう声が溢れ、日ごろ私が思っていたことなので、思わず「いいね!」を押したくなりました。ツイート世代と、この問題については同意見なんだ、と意を強くしたのです。

もともと和食米飯からの離反があり、減塩運動もあって、味噌や醤油も含めて若年層が離れつつあるのでしょうが、確かに近年、梅干の地位は大きく低下しました。今どきの梅干は高すぎ、正統的な梅の味を失い、さらに付け加えれば粒が大きすぎます。

かつては旅館の起き抜けには、梅干に砂糖と醤油をまぶしたものが、熱い番茶と共に提供されました。学生時代に奥の細道一周旅行をした時、福島の民宿でこれが牛乳と一緒に出された(当時、「1日牛乳3本の政治」というキャッチフレーズで、国民の栄養改善を野党が唱えていた)のには、まごつきましたが。香港旅行で、これをからからに干したような物が2粒ずつ、キャンデーのように紙にくるんであるのを見つけ、美味しいなと思って買いました。弁当には生粋の梅干が必ず1粒、腐敗防止に入れられたものです。

山田風太郎が、晩酌は梅干1粒を肴に、と書いていて、かっこいいなあと憧れました。実際、梅干1粒で1合は呑めます。肴がそれだけなら、やや甘めに漬けたものがいい。

和歌山へ行くと、じつにさまざまな梅干関連商品が開発、販売されていますが、練梅など簡単に料理に応用できる商品を、レシピつきで広めるのがいいのでは。マヨネーズやクリームチーズに混ぜると、洋風にもいけます。