共通テスト

昨日、肉屋へ牛肉を買いに行ったら、こんな路にまでパトカーがうろうろしていました。ショーケースには、¥1000の霜降り肉しかなく、いつも買う¥850のすき焼き用がない。なに、今日は共通テストの日だから特別なの?と訊いたら、女将がにこにこしながら、そうですと言う。試験が終わった子供に食べさせるのでしょうか。未だ受かったわけじゃないのに、と言いながら、我が家は¥680の細切れを買うことにしました。

去年は大変だったねえ、もう1年前になったんですね、その後いろんな事があったから、などと話していると、同年代の息子を持つ若女将は、あんなにも受験勉強は一生の大事なんですね、と言う。今どき、共通テストなしで入れる大学はいくらでもあるのにね、と言い捨てて帰りましたが、ふと自分の言葉に、改めて共感しました。共通テストだけが人生を決める、と思い込んでしまう18歳は、愚かだけど可哀想。国立大学という制度もなくなり、大学定員は大幅に余り、各大学の選抜方法も多様化した今日、なおも全国一斉に会場に集めて実施するペーパーテストは、果たしてほんとうに必要なのでしょうか。入試センターは今やビッグビジネス、その雇用問題があるのかも知れませんが、各大学の教育事情や、日本の高等教育の水準確保という問題を冷静に検証してもなお、コスパが釣り合うのかどうか、疑問に思っています。

今朝の新聞で、国語の問題をざっと見てみました。読まねばならぬ分量がかなり多い。作り込んだ問題だということは分かりましたが、3題とも、長い問題文のほかに随伴する文章も読まねばならず、しかも文体の違う文章(会話体など)が付けてある。素早く情報を選別する能力が要求されているのでしょうが、学力は正確に測れるのかしら。センター試験以来、順位をつけることが目的化しているような気がするのは、僻目かな。