天正本太平記の節略

和田琢磨さんの「天正本『太平記』の節略本文をめぐる一考察」(「古典遺産」71号 2022/8)を読みました。天正本は、太平記諸本の中でも最も個性のある異本です(新日本古典文学全集所収)。従来、天正本の特徴を論じるに当たっては増補改訂を中心に検討されてきたが、全巻を通じて節略された部分もあり、それを黙過して正しい評価はできない、との視点から論じています。

和田さんは複数の章段が統合された巻39「諸大名降参上洛事」と、異なるストーリーを合流させようとした巻26「洛中変違幷田楽桟敷崩事」「大稲妻天狗未来事」を例に取って検討し、天正本には複雑な過程を節略して話の筋だけを語ろうとする傾向がある、と指摘しています。複雑怪奇になった戦乱の世を、そのまま投げ出すように語るのが太平記の特色なのですが、天正本は話を分かりやすく整理しようとしたことが窺えます。

しかし天正本の改訂は屡々不徹底なままに終わっていることがあり、四条河原の勧進猿楽の桟敷崩れは天狗が起こしたとする記事と、「雲景未来記」(足利尊氏・直義兄弟と執事高師直との対立抗争が予言される記事)とを繋げようとして、文脈に幾つもの齟齬を来たしていることを指摘しました。従来は天正本が政治批判性を弱めているというのが通説でしたが、和田さんはこの改訂を天正本なりの為政者批判だと読んでいます。

和田さんの論調は、先行研究を踏まえながらも真っ直ぐにその見落としを衝くところが爽快です(但し私は、天正本の桟敷崩れは、美女が扇で煽ぐのが異類性を示して不気味なのであり、「女天狗」ではないと考えます)。今後も快進撃を期待したいところ。なお本誌には鈴木孝庸さん「平曲における大音声について」、野中哲照さん「『平家物語』形成の四段階」も載っています。お問い合わせは早大教育学部大津研究室まで。