風に吹かれて

ロシアのジャーナリストが、受賞したノーベル平和賞のメダルを競売にかけ、売り上げの約140億円をユニセフに寄付したと報じられました。自らの新聞社は休刊を強いられながらも、母国のウクライナ侵攻を悲しく、恥ずかしいと語り、せめて出来ることをと思ったのだそうです。落札者は知られていませんが、ふとノーベル財団だったかも、と考えたりしました。

夕食後の半睡状態でクロ現を視ていたら、66歳のミュージシャンたちが集まって出した「時代遅れのロックバンド」というメッセージソングについて、桑田佳祐を取材していました。NHKは最近、音楽や映画演劇が時代の社会・政治に与える力を掘り起こそうというスタンスを示しているように見えます。たしかに、例えば東北大震災後のキャンペーンソング「花は咲く」の影響力は大きかった。

クロ現の桑田佳祐インタビューも、その一環でしょうか。女子アナは、ベトナム反戦歌だった「風に吹かれて」のリフレーンを、にこにこしながら合唱しました。まるで、憧れのスターと歌える嬉しさ満開のように。

The answer, my friend, is bloin'in the wind, the answer is bloin'in the wind.

腹が立ちました。あの歌は、ジョン・バエズと共に私たちもよく歌いました。リフレーンは小声で、口ごもりながら。桑田佳祐は、あの頃は何故「風に吹かれて」なのか、答えは分かりきっているからだと思っていたが、今は分かってるならやってみろ、と言われている気がする、と話していました。半世紀前、若かった私たちはデモにも行ったし署名活動もしましたが、それらがか弱く、戦地の人たちの何の力にもならないことをよく知っていたので、悲しく、恥ずかしげに歌うしかなかったのです。

果物遍歴

小玉西瓜を買ってみました。開発されたのは昭和34年だそうで、東海道新幹線が開通したのが昭和39年、商品名の「こだま」はそれに因んだのだと思っていましたが、ある時「小玉」だと悟ってちょっと落胆しました。西瓜を井戸で冷やして大家族でかぶりつく風潮がなくなり、小玉が次第に普及したものの、一度食べてみてまずかったので、爾来決して買おうとはしなかったのですが、美容院の親父に「今は美味しいですよ」と教えられ、駄目でもともとと百均で買ってみたのです。

冷蔵庫にすっぽり入って、なるほど便利。包丁を入れる感触も西瓜そのもの。櫛形に切ってかぶりつこうとしたのですが、どうもしっくりこない。味は往時とは別物、甘くて塩も不要です。結局、メロンのようにスプーンで食べるフルーツなのだと納得しました。難点は種が小さすぎて、呑み込んでしまいそうになること。

播磨坂のスーパーで桜桃を買い(桜桃忌が近いので)、隣りの棚を見るともじゃもじゃした雲丹のような果物がある。ランブータンです。買ってみました。かつてマレーシアのホテルで、ウェルカムフルーツの中に入っていたのを思い出し、懐かしかったのです。名は毛髪という意味だそうで、見た目は異様ですが、冷やして剝くと、茘枝に似た、白くて甘い果肉がつるりと出てきます。

ふと、40年前学生を連れて京都の長楽寺へ行き、石段の麓で不気味な木の実を拾ったことを思い出しました。白っぽい肌に薄く赤味が差し、まばらに毛のようなものが生えていて変になまなましく、卑猥ですらある。梢を見上げましたが、茂り合う木のどれに生っていたのか分かりません。学生からお捨てなさいと叱られました。あれは、もしかするとランブータンの未熟な実だったのでは。京都の野外でも実るのかどうか、分かりませんが。

川越便り・スマホ篇

川越の友人から、スマホに換えたので試験送信、と写メールが来ました。

クガイソウ

愛妻が友人たちはみなライン連絡なので、とスマホに乗換えを決意、夫名義の契約になっているからと巻き込まれたのだそうです。目下、夫婦で肩を並べてドコモのスマホ教室に通っている、PCの応用で機能については理解できるが、操作がなかなかついていけないとのこと。「週刊文春」6/23号に、年寄りはスマホを買うなら夫婦で同じ機種にして、互いに教えっこせよとありましたが、実行してるようです。

マップはあまり役に立たないそうで、私はスマホの機能で必要なものがあるとすれば、道案内だけかなと思っていた(最近は路上で道を訊くと、みんなスマホを取り出す)のですが、エノキさんから、あれは分かりにくくて使えないと言われ、「週刊文春」のガラケーを止める必要はない、との忠告に従うことにしました。

ツクシカラマツ

【ツクシカラマツは春の開花の後、切り戻して2度目の花が咲いています。カライトソウは基本的に秋の花ですが、最近は早く咲くようになりました。】

唐糸は、木曾義仲の腹心金刺太郎光盛の娘として中世小説『唐糸草子』に出てきます。頼朝暗殺に失敗して幽閉されますが、娘万寿が母を救うために身元を隠して政子に仕え、吉瑞のあった正月に祝賀の舞を舞って、母子ともども赦されるという物語。

カライトソウ

【長雨の時期は、薔薇の蕾が芯から腐ったりして思うように咲かず、暑くなると山野草の多くは休眠してしまいます。】

我が家はいま梔子の開花を待っているところ。花は少ないが、この時季は何を摘んでも活けられます。今日は、勝手に生えてきた羊歯2種(葉の形が面白い)を引き抜き、コリウスの小枝を挿し添えて小さな容器に盛り、洗面台に置いてあります。

犬王

古川日出男平家物語犬王の巻』(河出書房新社 2017)を読みました。初版を買ったままツンドクになっていたのですが、アニメ『平家物語』が評判になり、今後の若い読者には多かれ少なかれ「古川平家」の影響が残るかも、と考えて読んでみました。

読後感を一言でいうとー小説を読んだのではなく「絵のないマンガ」本を読んだ気がする、でしょうか。この作家の他作品を読んだことがないので、こういう文体、構成が本作品限定なのかどうかが分からないのですが、粗筋と擬音語しかない、マンガの吹き出しを拾って読んだような後味です。

犬王は、具体的な伝記史料に乏しいけれども実在の人物です。盲目の琵琶法師壇ノ浦の友一(五百友魚)は作家が創作した人物。この2人に文学研究の一部の説を膨らませて巻きつけました。壇ノ浦で一旦引き揚げられた宝剣を見たために失明した友魚が、犬王から能の素材となった平家の物語を教えられて語り、後には犬王の数奇な運命を同時進行で語って人気を博す。犬王の「数奇な運命」は、手塚治虫の名作『どろろ』から借用したアイディアに見えます(機能回復を美醜、穢れと浄めに置き換えた)。

商売柄、表現の粗っぽさと、古典語の誤用とが気になって爽快に読めない(例えば五百はイホ、魚はイヲで中世では通音かどうか、「まるっきり」という語は通常否定表現に続くetc.)のは私だけの事情だとしても、能や平家語りのたたずまいとはあまりに遠すぎる。

世上にアニメやゲームが蔓延して、世代を超えて共有する物語の主流がそれらに移った時はどうなるのだろうと、若い人にゲームの物語の主筋は何か、尋ねたことがありました。だいたいはトールキンの『指輪物語』が原型です、と教えられましたが、著しく変形した日本の古典がもとになるとしたら、その方がむしろ一大事かもしれません。

山城便り・蕗苗篇

京都郊外で庭に菜園を作って暮らす錦織勤さんから、メールが来ました。

【我が家の畑は、5月の中旬にニンニクを収穫し(今年は肥料を十分にやらなかったせいか、小さめ、少なめでした)、後には例年通り、サツマイモとトマトを植えました。
ずっとフキが欲しいと思っていて、先日、ネットで購入しました。庭の縁や、家の周囲のあちこちに植えたのですが、8本中、7本根付いたようです。】

栽培成功の蕗

えっ、蕗って苗を(しかもネット販売で)購入するものなのか!一言言ってくれれば長野からでも、いやこの辺からでも引っこ抜いて送ってあげられたのに。

【「ようで」と言ったのは、まだちょっと微妙なものが1本あるからですが、今朝見ると茎の根元にごく小さな葉があり、4~5cmほど右にある葉も、どう見てもフキの葉なので、根付いたかもしれないと思っています。2、3日すればはっきりするでしょう。
来年、フキノトウがどれだけ出てくるか、食べられるほど収穫できるか、ちょっとワクワクしています。小さいころ、フキは近くに沢山あって、季節になるとフキノトウの味噌和えをよく食べました。子供ながらにほろ苦さが美味しくて、当時の家族の顔と一緒に思い出します(錦織勤)。】

多分、根付いた蕗苗

子供の頃から蕗の薹のほろ苦さが好きだったなんて、ちょっと変わった子だったのでは。今では我が家の正月の祝膳の口取りは蕗味噌ですが、私が美味しいと思えるようになったのは、40歳を過ぎてからでした。

蕗は雌雄異株。長野では、雌株の花茎の酢の物を御馳走になりました。調べたら、根茎は山葵に似ていて屡々誤食されるが有毒、とある。山葵大好きの錦織さん、決して試食したりしないようにね。

七夕の短冊

知床遊覧船が沈没したらしい、という報道を最初に見た時、ぎょっとしました。まさか観光船が無謀な出航をしたとは考えつかず、北の海で原因不明の沈没、と聞いて頭をかすめたのは、国籍不明の潜水艦と接触したのでは、という不吉な想像でした。ロシアも遭難者の情報はちゃんと伝えてくれているようで、現場は未だ正気を失っていないと安堵したのですが、今は些細なきっかけで、引き返せない重大事に至る可能性があるのだと、誰もが認識していて欲しい。

日本人の多くがすでに、戦時中という感覚を知りません。私も終戦時は物心ついてはいませんでしたが、成長するにつれ戦時の名残りがあちこちに残っていること、それに対する大人たちの特殊な雰囲気は感じ取ることができました。私たちは現在は戦場を遠く離れていますが、五感を研ぎ澄まして軍靴の音が近づいてくる気配を、早いうちに聞き取れなければいけないのです。

反撃力(敵地攻撃能力)とか、核共有とかいう主張は恐いと思います。そもそも日本のような位置と歴史をもつ国が、たとえ防衛戦であれ戦闘に入ったらもうおしまいです。開戦しないためにどうするかを真剣に議論し、全力で備えるべきです。全世界に、私たちは憲法9条を持っている国だから、という顔を向けて歩ける道が王道でしょう。

ウクライナへの軍事援助が両刃の剣であることが、次第に見えてきました。どうしたら彼らを見捨てずに、自国の平和をも守れるか。難問ですが、そういう問題の立て方をしなければならない。冷静で賢い政府を持っていなければなりません。

町内会から、七夕の笹竹につける短冊が配られました。めいめい願い事を書くようにというのですが、書くなら「憲法9条を世界に」。選挙公示後ではアウトでしょうか。

隣家の猫

美容院へ行く途中、通称落第横町の入り口で、小さな生き物がちょろちょろと走りました。巣立ちの子雀かな、いや小雨の中を鳥が地上にいるのはおかしい、と思ってよく見たら、鼠でした。最近この界隈では、昼日中に鼠が道を横切るのに出会うことがあります。正月3が日に、車に轢かれた死骸を見たこともありました。

美容院の親父にその話をしたら、いますよ、この辺は飲食店もあるし、と言う。この頃猫が出歩かなくなったからね、と言ったら、そうなんですよ!と力を籠めて言う。隣の家の猫は以前はよく鼠を捕ったのに、最近は飼主が外へ出さないので1日中2階の窓から外を見てる(いわゆるニャルソックです)、という。その口調には、やや憤慨の気味があり、休日に自転車で買物をして歩く以外は店舗にいなければならない身としては、隣家からずっと見つめられているのは、面白くないのかも知れないな、と推測しました。

犬を見ると吠えるんですよ、と言う。猫は「吠える」とは言わない、「啼く」じゃないかなと聞き返したのですが、「吠える」のだそうです。気の強い猫だね、と言ったら、散歩の時は飼主を引っ張って歩いてる、となお憤慨していました。

都市の鼠害は思わぬ結果をもたらすことがあるそうで、病原菌を媒介するだけでなく、見えない箇所の配線を囓って漏電や停電の原因になったりするのだそうです。猫が家飼いになったことでそんな事態が起きるとは、予想されていなかったでしょう。昔は、猫は餌を出してくれる家を渡り歩いていたもんだったよね、人間は自分ちの猫だと思っているけど猫の方は自由、と言ったら、隣の猫もあちこちで食べてた、とのこと。

しかし今どきの猫は、仰向けになって寝るからもう戸外では暮らせないだろうという話の後、明日はオンライン会議でお辞儀をするから、と三面鏡で頭頂を確かめて帰りました。