源平の人々に出会う旅 第56回「駿河・海道下」

 元暦2年(1185)、壇の浦の合戦で平家が滅びた後、捕虜として京と鎌倉を往復したのが、一の谷で生け捕られた平重衡と、壇の浦で生け捕られた平宗盛父子です。

【小夜の中山】
 『平家物語』では、寿永3年(1183)に重衡が鎌倉へ護送されるまでの道程を、地名や風景などを次々と詠み込む道行文で表現しています。駿河国を通過する際には「小夜の中山にかかり給ふにも、又こゆべしともおぼえねば、いとど哀のかずそひて、たもとぞいたくぬれまさる」(覚一本)とあり、西行の和歌「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」を踏まえた記述になっています。

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【千手の前像(少将井神社) 】
 さらに「宇都の山辺の蔦の道、心ぼそくも打越て、手越をすぎてゆけば」と続きます。鎌倉到着後、重衡の身の回りの世話をした千手の前は手越長者の娘とされます。少将井(しょうしょうい)神社は手越長者の館跡と推定されています。

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【大井川(蓬莱橋)】
 約2年後(元暦2年)、宗盛も同じ道程を辿ります。『源平盛衰記』では、小夜の中山を越えた後、「菊川宿打過テ、大井河ヲ渡ツヽ、宇津山ニモ成ヌ」と記しています。

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〈交通〉
小夜の中山…JR東海道線菊川駅、少将井神社…JR東海道線安倍川駅
大井川蓬莱橋……JR東海道線島田駅
                        (伊藤悦子)