隠れた縦糸

岩城賢太郎さんの「義仲の”命の親”実盛」(国立文楽劇場「第160回文楽公演パンフレット」 2020/10)を読みました。観劇パンフレットの解説ですから、分量も読者対象も限定されており、研究論文ではありません。岩城さんの文章は必ずしも読みやすくないのですが(予め言いたいことを箇条書きにし、各項の連関を考慮して配列し、それから文章化する習慣をお勧めしたい)、これは趣旨が分かりやすい。

寿永2年、平家を追い落として一番に都へ乗り込むものの、統治に失敗して敗退する木曽義仲を廻るストーリーは、史実を超えて能や近世文芸に広く受け継がれ、愛好されました。語り本平家物語よりも源平盛衰記が義仲の生い立ちを詳しく描き、父を殺された幼児の義仲(駒王丸)を、木曽の中原兼遠に預けたのは平家に仕える実盛だったというのです。その一方、実盛は息子たちを、重盛の嫡男維盛一家の守護につけます。

平氏と源氏の運命が懸かる人物の身近に、それぞれ関わった実盛。同様に流人だった頼朝に挙兵を勧め、殺される寸前の平家の子孫(六代)を助けたのが、神護寺の文覚です。文覚伝を書いた山田昭全さんの遺稿集(『全著作集』おうふう 2016)を読み直していたところだったので、改めて平家物語を貫く隠れた縦糸ー例えばこの2人の人物の存在ーについて、思いを馳せました。

岩城さんはこう結んでいます。「近世文芸が「盛者必衰の理」の奥に、より複雑な恩愛関係や深い因縁が介在することを一つの真実と認め、近世人が源平合戦期の武者の運命の皮肉や悲哀に思いを重ねていた姿が窺える」。それは近世に限らないのではないか。<平氏がその奢りゆえに源氏の復讐に敗れ、滅びていく、盛者必衰の理の下に>という物語の底には、もっと非直線的な、複雑な思惑や偶然の絡み合いなども埋め込まれていたのでは。