おみくじの歴史

平野多恵さんの『おみくじの歴史 神仏のお告げはなぜ詩歌なのか』(吉川弘文館)を読みました。平野さんは明恵など中世和歌の研究者でもありますが、神籤の研究を続けてきて、今では学生と共に実際のおみくじの創作や、神社の催事にも携わっているという、元気一杯の人です。私よりも30年若いので、思いがけないところに意識の相違があり、互いに吃驚したりします。以前私が、おみくじとか占いとかは、戦後、迷信を排撃した時代の眼から見ればいかがわしかった、と言ったら、驚いていました。

しかし和歌史には歌占という分野があり、文学研究と矛盾するものではないのです。本書を読むと、本研究にはいかに広範囲な探究心とこまめさが必要であったか、先行研究はあるもののパイオニアとしてのバイタリティが求められたことがよく分かります。

本書は前半におみくじの歴史的展開(占いのルーツ、仏教や易との関係、歌占の時代的変化)が述べられ、後半にはおみくじの様々(今昔、各地の多様なおみくじ、現代人とおみくじの関係)が紹介されていますが、私には後半が面白かった。副題の、なぜ神託は韻文によるのかという問題は253頁になって説かれていますが、本来は前半部で論じる方が読者には親切でしょう。占いとおみくじとは異なるもの、と発信する側は言うそうですが、その点に関しての著者の論述もあっていい。

現代ではオンラインやQRコードで引くおみくじもあるのだそうで、しかも続々新しいおみくじの手法が工夫されているとのこと。一種のエンタメなのでしょう。オウム真理教によるサリン事件があった時、おみくじの迫真性を増すために凶の割合を高めたという話があったことを思い出しました。和歌の解釈が柔軟性に富むことを利用して作られた歌占は、本人がその意味を考える過程が重要なのだ、という結論には納得しました。