○○大学寮

京都大学吉田寮の運営をめぐって学生と大学当局が争った裁判に、京都地裁が学生の主張をほぼ認める判決を出した、という報道を知って、ある種の感慨に囚われました。裁判の核心は、寮の運営は学生の自治活動の一環であり、大学当局は学生代表と交わした確約書を反故にしてはならない、という点にあるようで、60年近く経って受け入れられる正義もあるんだ、とでもいった感慨です。

学部3年の秋、私たちは学生大会の決議に基づいてストライキを敢行しました。当時、4年生用の学内寮と、1~3年が同居する大山寮とがありましたが、入寮選考や日常の運営管理は入寮者の自治に任されていました。地方出身者が多かった(東京出身は少数派でした)ので、クラスの半数近くが大山寮に入っていて、時には全員で出かけて行って集会を開いたりもしました。古い木造建築で、つっかい棒がしてあったりしたのです。

老朽化した寮を建て替え、新寮の管理運営は大学が行う、という話が降ってきました。1965年だったと思います。文部省が○○大学寮管理運営規則というものを全国の国立大学に呈示し、大学当局は、国立大学なんだから国有財産の管理は学生には任せられない、という論法を繰り出しました。○○の部分には各大学の名前が入るというのですが、そのこと自体が創立以来の我が母校の伝統を無視するのか、という怒りを呼びました。第一、今まで何も問題は起こっていないじゃないか、というのも学生側の反論でした。

手分けして、授業開始前に教室にピケを張りました。大抵納得して貰えましたが、同じ高校から1浪して入ってきた人たちからは反発されました。あんたたちはいいだろうけど、と言われた時の表情は、今でも思い出せます。大学は譲らず、学年末試験が近づくとストは内側から崩れていきました。新寮が建つと、自治の主張は忘れられました。