西行学10

西行学会の機関誌「西行学」10号(2019/8)を頂いたので、読みました。この学会も発足10周年を迎えたのですね。発足した時は、なるほどこういうテーマ設定もあるか、と膝を打ちました。紫式部学会があるのだから不思議ではないようですが、「西行」ほど幅広く、時代やジャンルや方法を超えて探求できるテーマは他にないと言ってもいいでしょう。かつて西尾光一氏が「西行的人間と西行好みの人間」(1969/4)で説いたように、「西行」という名は個人名に留まらず、虚実の区別に囚われず、さまざまな問題をはらんでいます。

すでに多彩な人々が参加し、毎号充実した内容の雑誌ですが、本号にも生誕900年記念事業(2018)、平成13~15年度科研費B報告書(2008)、西行文献目録、和歌山県立博物館連続講座(2018)などの事業の成果が盛り込まれています。私は中でも坂本亮太さんの「紀伊のなかの西行ー地域史から捉える人物像ー」、菊池仁さんの「福島県信達地方の西行伝説ー『撰集抄』最終話との接点を再検証するー」、山口真琴さんの「西行和歌の魅力」、松本孝三さんの「西行伝承のおもしろさー敗北・退散する笑話の主人公ー」などを興味ふかく読みました。

殊に山口さんの、西行は恋愛関係にあるとは言えない対象を詠む際にも恋歌表現を用いる、との指摘、また彼は常に境界に身を置こうとする、との指摘は、隠者の本質を衝くものとして重要だと思います。隠者はどこにも属さない、マージナルマンでありながら、或いはそれゆえに、恋い慕う感情から脱却することができない。西行の花の歌、月の歌は恋歌そのものです。歴史をもの語る作者の心底にも、まさにこの「あくがれ」の破片が、喪われたものへの共感として、深く埋め込まれているのではないでしょうか。