能登を懐う

能登へは、かつて2度ほど旅しました。能登半島を2日がかりで1周する観光バスがあって、途中の1泊はどこでも自由、翌朝決められた場所に定時に行けば乗り継げる、というコースです。

1度目はほぼ半世紀前。平家物語以仁王を逃がすために孤軍奮闘した長谷部信連は、伯耆国へ流された後、頼朝から輪島の地を安堵され、そこで亡くなったと伝わっているので、輪島塗会館で下ろされた自由時間にタクシーに乗り、JTBのガイドブックを示してこの墓へ行きたい、と言ったのですが誰も知りません。運転手たちが、うちの墓へ連れて行ったんじゃ駄目か、と言っているのも聞こえましたが、ともかく田圃の中に立つ五輪塔を見ることができました。当時国内では珍しいとされたサフラン畑を見にも行きました(もう地名は忘れました)が、いま調べると国内一の産地は、大分県竹田なんですね。

2度目は40年前、ゼミの女子学生たちを連れて行きました。1度目と同じコースですが、記憶に残っているのは、珠洲にある平時忠一族の墓を見るために、時忠の末裔という則貞家に泊まったら、民宿の主人が、平家の旗を伝える家に車で連れて行って呉れたのですが、先方で、ちょうど木天蓼酒が漬かったから、と主人同士でガンガン呑む。交通手段はほかにないので、学生ともども真暗な細い山道をその車で帰った時は肝を冷やしました。輪島の朝市にも行き、無花果を買って食べようとしたら、都会育ちのお嬢さんたちは食べ方を知らず、このまま割って中味を啜るんだよ、と教えたことを思い出します。

能登はいい所です。何があろうとこの故郷を離れたくない、という気持ちが殊につよいのもよく分かります。しかしこういう災害には慣れていない。山中の一軒家を訪ねる人気番組で、ぜひ被災地特集をやって貰いたい、とエノキさんと意見が一致しました。