川越花便り・彼岸花篇

川越の友人から、写真つきのメールが来ました。「買い物の帰り道に、田圃の畔で彼岸花が咲いていました。今年は暑さが続いたので少し遅いようです」とのこと。

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川越の彼岸花

「珍しい白い花が混じっていました」ともありました。皇居のお濠の土手には彼岸花曼珠沙華)が密生していて、見事なのですが、ある年から一角に白い花が咲くようになりました。誰かが植えたのか、突然変異を起こしたのか分かりません。国会図書館三宅坂国立劇場へ行くついでには、お濠の眺めを楽しんだものですが、このところずっと都心へは出ていないので、今年はどうなっているでしょうか。

大学院を出てすぐ、京都の短大へ1年間、教養科目の文学を1コマ、教えに通ったことがありました。新幹線で関ヶ原を越え、遠くに琵琶湖の見える米原の辺りは、水田が広がります。ところどころ小さな溜池や稲架のための並木があり、秋には畦道を彼岸花が真っ赤に彩りました。草の緑、稲の黄、それを縁取る曼珠沙華。絵本のように美しい風景でした。やがて岐阜羽島にも米原にも工場が建ち、水田は潰されて行きましたが、今でもあの夢のような景色は瞼の裏に残っています。

彼岸花田圃の畦に多いのは、かつては凶作時に備えた救荒作物だったからだ、と聞いたことがあります。球根には毒があるのですが、飢饉の時は水に晒して毒を抜き、食用にしたのだとか。強烈な赤い色を嫌う人もあってか、昔は不吉な花と思われたようですが、最近は庭に植える人も多くなりました。殊に白花はリコリスと言って、園芸植物扱いされているようです。

以仁王に仕えた信連の墓を能登半島に訪ねた時、すでに花は終わり、葉叢が周囲を覆っていましたが、燃えるような意気地を見せて立ちはだかる武者の姿を、幻想しました。