源平の人々に出会う旅 第29回「大津市・木曽の最期」

 寿永3年(1184)1月20日、京都で東国軍との戦い(河原合戦)に敗れた義仲は、めのと子の今井兼平がいる勢多へ向かいます。巴や手塚光盛ら、わずかな従者も討死や離脱し、とうとう義仲・兼平主従二騎となってしまいます。

【今井四郎兼平の墓】
 義仲は自害するために粟津の松原へ向かいますが、馬が深田にはまり、石田為久に討たれてしまいます。それを見た兼平は、刀を口にくわえ馬から飛び降ります。

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【兼平鎧掛けの松】
 『平家物語』諸本には、義仲と兼平以外にも、めのとやめのと子との関わりを表すエピソードが多数あり、親族以上に強い絆で結ばれた関係だったのでしょう。

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【近津尾神社】
 松尾芭蕉の墓が義仲寺(大津市)にあることはよく知られています。近津尾神社の境内には、元禄時代芭蕉が移り住んだ幻住庵跡があります。同社の起源は不明ですが、後白河法皇勧進とも伝わっています。

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【山吹地蔵】
 語り本系『平家物語』は、義仲が巴・山吹という二人の便女(びんじょ)を連れていたとします。両者とも実在の確認はできませんが、滋賀県内はもとより、全国各地に彼女たちの落ち延び伝説が点在しています。

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〈交通〉
 JR琵琶湖線石山駅大津駅
      (伊藤悦子)