回想・渥美かをる

初めて女子学生を受け入れた帝大は、東北大学です。私が駆け出しの頃は、その当時のことを知る卒業生が未だ現役でした。渥美かをる氏もその1人です。大著『平家物語の基礎的研究』(三省堂 昭和37)は、私が卒論を書く頃は一誠堂の硝子ケースに入っていて、到底手が出ませんでしたので、図書館で大半をコピーして(その料金も学生にとっては法外でしたが)製本しました。『平家物語』のあらゆるテーマが網羅されており、私はその中から、研究が手薄だと書かれていた長門本を卒論に選びました。渥美氏はしばしば大胆な仮説を立てる方で、私は反論も書き、抜刷もお送りしました。

愛知県立大学を定年後、青山短大へ招聘されてすぐ、昭和52(1977)年12月に亡くなりました。葬儀には、渥美氏とは東北帝大の同期だった小泉和氏に連れられて行きました。その後、御遺族から、高木市之助氏の縁のある大学に、と蔵書買い取りの話があったそうで、小泉氏からお供を言いつかりました。出入りの古書肆と3人で参上したのですが、座机の上には、未だ史料大成が広げられ、ピースの青缶が置いてありました(渥美氏はヘビースモーカーだった)。

意外に蔵書が少ない、と思ったのですが、娘さんが「母の著作は取りのけました」と言われ、考えてみればあの当時、めぼしい研究書は殆どすべて、ご自身が関わったものだったのです。撮影した写真や手写しの本は権利関係が難しいから遠慮した方がいい、と古書肆が言うので、写本『平家正節』のほかはごく少ない活字本を引き取りました。

遺族から、博士論文『平家物語の基礎的研究』は自費出版だったこと、夜中に書斎で「こんなものは駄目だ」と、片端から破いている姿を目撃したと聞かされ、一誠堂の前で立ち尽くしたことは口に出せませんでした。自家複製本は今も私の座右にあります。