ギルティ・シンドローム

台風情報の合間に挟むためか、NHKTVが5分、3分の番宣を不規則に流しています。偶々「キーウの夏」というNスペの紹介を視ました。9月10日に放映したらしいのですが、視ていません。戦火に蹂躙された印象の強いウクライナの首都キーウが奪還され、しばし日常が戻ってきたが・・・というドキュメント。放棄されたロシア軍戦車の前に歩み出てきて無邪気に笑う幼児の笑顔が、何より尊いものに見えました。

ウクライナは未だ徴兵令が発動されておらず、街頭で入隊をリクルートしているという(但し兵役年齢の男子は国内に留まる義務がある)。妻を海外に避難させ、国内で戦争報道を続けるカメラマンと、一旦海外へ逃れたものの、娘だけを置いて戻ってきた老夫婦が紹介され、彼らはギルティ・シンドロームに悩み、苦しんでいると説明されました。guilty syndrome―同朋が生死を賭けて戦場に出ているのに、自分だけが安全な所にいていいのか、という自責の念。現に疾病があって兵役免除になっている老夫婦も、海外へ出る時は近隣住民から非難の目を向けられたという。

覚えがあります。ベトナム反戦の時、東大紛争の時、自分の無力を抱きかかえるような、苦しい思いを味わいました。殊に安田講堂陥落の日は中継放送の画面の前で、これを凝視することは義務だと自分に言い聞かせました。さきの大戦で反戦主義者がその意志を貫徹できなかった理由は、弾圧への恐怖よりもこの罪責感だったようで、どの国でも同じだったらしい。一度戦争の口火が切られてしまえば、そうして後へは引けなくなるのです。

軍の料理番に志願することにした、と語る老婦人の膝の上で、雉子猫が背伸びしながらしんそこ嬉しそうに、戻ってきた主人の顎に頭をこすりつける映像を視ながら、その罪責感は軍記物語誕生の原動力でもあった、と考えたのでした。