ガンジー

賀状が刷り上がってきました。印刷屋から出て歩く本郷通りは、家と家の間の細い隙まで、びっしり黄金色の公孫樹落葉で埋まっていました。日が傾くと忽ち気温が下がっていくのが分かります。例年より2週間遅れのスタート、夕食後、NHKのドキュメント番組「映像の世紀」を視ながら、葉書の整理をしました。死去、喪中欠礼、賀状停止宣言をした人の葉書を抜き、去年の喪中葉書を足して50音順に並べる作業です。

映像の世紀」は「塩の行進」と題して、近代の非暴力民主化運動の指導者たちの略伝を集成していました。ガンジー、キング、アウンサンスーチー、アキノ・・・編集ドキュメントなので話の括り方がやや粗っぽいところもありましたが、その時々に心中で送った声援が思い出されました。中でもマハトマ・ガンジーは、少女時代、心奥に深く刺さっていたことを改めて思いました。伝記も読んだし映画も観ましたし、その当時の報道写真も思い出すことができます。それは私だけでなく、あの頃の日本人に共通していた心情だったかもしれません。学部3年の時に印度を訪問しましたが、ガンジーの生家に案内されました。凸凹の土間が、主のいた頃そのままの時間を感じさせたことを覚えています。

暗殺された非暴力運動指導者たちは、番組によれば、まるで判で捺したように死の直前、自らの死と信念とについて語っているのが不思議でした。身辺に暗殺の気配を感じていたのかもしれないし、偶然の発言に意味を付与したのかもしれません。あたかも彼ら自身が、もういい、私はここまで来た、と言って腰を下ろしたかのように聞こえます。歴史を語る物語は、いつもそうなるのだ、と言ってしまえばそれまでですが・・・

最後に出された、非暴力の埒内からはみ出てしまったミャンマーの例は、物語が未だ閉じていない証だと思って視るべきなのでしょう。