年の瀬2019

量だけでなく困惑も抱えてしまった年の瀬、隙間を縫ってちょっとずつ年越しの用意をしています。散髪に行き、歯医者に行き、手帖とカレンダーは買い揃えました。年賀状は刷り上がってきましたが、宛名書きは未だ手つかず。そう言えば今年は、郵便局員が寒風の中に屋台を出して年賀葉書を売る光景が見られないようです。肩身が狭くて止めたのでしょうか。

近所の画材店で絵葉書を3枚、買いました。藪柑子と猫柳と椿の木版画、海外に出す年賀状用です。以前、日本の年賀葉書が懐かしいだろうと思って、お年玉付き葉書を海外在住の人に出したことがあったのですが、くじ付きは賭博の一種だということで禁止している国があり、戻ってきてしまいました。買いながらふと見ると、店の奥の画廊で竹久夢二の版画展をやっている。復刻の手刷り木版画ですが、大きい物は結構な値段がついていました。夢二のデザインは大胆で、ドラマを感じさせる一方、母方の従姉たちが持っていたような、大正から昭和初期の女性たちの雰囲気をたっぷり浴びせかけてきて、懐かしさと苦手感とが混じった、微妙な気持ちにさせます。

たまにしか来ない店では、出際に「よいお年を」と言って出てくる時季になりました。どうしてもやっておかなければいけないことは何か、と考えると気が焦ります。酒と餅があれば何とかなるかな、と居直ることにしました。あっ、お屠蘇散を買っておかなくっちゃ―酒屋が呉れなくなり、薬局では去年の売れ残りを売りつけられそうになり、近年は、苦心して探すはめになりました。お屠蘇を飲まない家もあるのだということは、最近知ったのです。