もう一方の性

判断も難しいし、表現も難しい、けどずっと、もやもやしていることを書いてみます。

先日、戸籍上の性別を変えるための性同一性障害特例法の要件項目に関する最高裁判決が出て、数日前、大手紙上にその解説が載り(朝日新聞朝刊11月11日)、それによれば①生殖不能要件②外観要件③未成年の子なし要件の3つの要件の中、①は身体への侵襲を受けない自由を制約するとして憲法違反とされたが、②はトランス男性とトランス女性の間で不平等が生じるし、③は世界でも稀な規定だから要検討だというのです。

私には②の方が撤廃すべき要件のように思えるのですが・・・全裸になるのを避けて暮らすことは可能だし、そもそも現代では外観だけで性別を判断するのは難しくなっている。そのためにトランス女性だけが手術が必要なのはおかしいのではないか。しかし男女の相違の究極は生殖機能の違いなのだから、①に関して肉体改造が必要なのは一定の必然性がある、と思ってしまうのです。

同じ新聞に三木那由他さんというトランス女性の寄稿が載ったことがあって(10月31日朝刊「カミングアウトとは」)、共感を持ちました。社会全体はシスジェンダー(生まれつきの性でやっていく人)の方を向いていて、トランスジェンダーの人は、放っておけばいないことにされ、表に出ると罰を受ける、けど覚悟して自分たちの存在を示し、マイノリティであることで受ける不都合を追い払っていこうとする行為がカミングアウトなのだ、という主張です。それは単に個人的秘密を告白する、といった行為ではないと。

そもそもシスジェンダーで生きていても、もう一方の性であったら、こんな目には遭わないのに!と思う瞬間は、人生の中で何度もある(少なくとも女性の場合)。それは、トランスジェンダーの人たちにぜひ解って貰いたいことの一つです。