戸籍制度

ここ数年、私の中でずっとくすぶっている疑問、違和感があります。夫婦別姓同性婚などの新制度が人権問題として要求され、認められるにつれて、現在の日本の戸籍制度のあちこちが綻び、根本的に時代に合わなくなっていることが黙過され、ますます綻びが大きくなっている、ということです。離婚後の親権や、婚外子の認知・相続権などについても、やはり疑問が多い気がします。

法律上の結婚→権利獲得→生きやすくなる、という考え方への拒否を書いている小説家がいて、違和感の正体が少し具体的になった気がしました。彼女(王谷晶)は、法律上の結婚をしなければ守られないものがあること自体がおかしいのではないか、と言います。生きやすさや権利保障を求めて法律婚をするなら、家制度や男性優位制度を受け入れざるを得なくなるのではないか、国民を管理しやすくするための婚姻制度に絡め取られることになるのだ、というのです(朝日新聞朝刊4/21「耕論」)。

同性婚の場合、子供ができないことは当初から分かっているので、婚姻が必ずしも次世代への継承を前提としないことを浮き彫りにしましたが、それは異性婚の場合も同じです。近年のように少子化が進むと、必ずしも父方の親族だけが密接な関係を保てるわけではなく、母方の方が深いつきあいであることもある(殊に女性は母方との縁が強い)。六親等まで相続の権利があったり、扶養の義務を負うというのも非現実的です。

日本の社会は戸籍制度で成り立っている。税の徴収も資産相続も、世帯単位の社会保障も、根は戸籍制度に基づいています。簡単には手がつけられないでしょう。しかし、上代以来の戸籍制度が封建制の圧を受けて固定化した家制度には、すでにあちこち無理が生じ、そのきしみが弱者を締めつける、という観点もまた必要ではないでしょうか。