山城便り・関越え篇

伏見に住む錦織勤さんから、カメラを買い換えたので、と写メールが来ました。

蝉丸神社碑と愛輪

【思い立って、琵琶湖を見に行ってきました。普通の自転車(ママチャリ)で、往復30km強ありますが、無事に帰ってきました。国道一号線を、蝉丸神社と逢坂関址を経由するルートで行ったのですが、この道は片方にしか歩道がなく、そこに行き着く道が分かりにくいのですが、なんとか見つけることができました。】

ママチャリで30km往復って、殆ど耐久レース!錦織さんは実家が自転車屋だったとかで、愛輪家なのです。通勤も常に自転車でした。

蝉丸神社

 <かく内大臣ふし、みのゝ守則清以下、都を出給ひ、逢坂の関にかゝり、都のかたをかへりみ給て、いつしか大うち山もへだゝりぬと、ながす涙を袖につゝみ、あづまぢやけふぞはじめて文(ふみ)みゝ給。むかし蝉丸といひしよすて人、山しなをとはの里に居をしめ、このせきのへんにわらやの床をむすびて、つねにびはをひきつゝ、和歌を詠じておもひをのぶ。
 これや此(この)行(ゆく)も帰るも別つゝしるもしらぬも逢坂の関
 世中はとてもかくてもありぬべし宮もわらやもはてしなければ
流泉啄木の二曲をつたへてんとて、博雅三位、三とせまでよなよなかよひし所也と思ひ出給ひけり。蝉丸は延喜第四の宮なれば、この関のあたりをば四宮がはらと名づけたり。>(蓬左文庫源平盛衰記巻43)

逢坂関跡

京都から東国へ、壇ノ浦で捕虜になった宗盛父子も一の谷で捕らえられた重衡も、逢坂の関を出て牽かれていきました。

蝉丸神社上社

蝉丸は醍醐天皇第四皇子で琵琶の名手だったが盲目のため郊外に隠居し、博雅三位が秘曲を習得したい一心で、密かに庵に3年間通って立ち聞きした、との伝承があります。