古活字探偵9

高木浩明さんの連載「古活字探偵事件帖9」(「日本古書通信」9月号)を読みました。今回は「古活字版の校正」という題で、印刷後に誤植が見つかったり、何らかの理由で部分的修整をしたかったりした場合に、物理的に改訂の手が加えられた例について述べています。印刷後の紙面を切り取って、裏から紙を貼り、そこに活字を捺したり、手作業で書き入れたり、時にはその丁の欄外に植字することもあったらしい(私は頭注かと思っていました)。

脱落した文字数が多い、もしくは行単位の脱落の場合は、丁が替わった先まで影響が及ぶことは避けねばならないので、1行字数を詰めるなど工夫を凝らしたようです。下村本平家物語の場合、訂正箇所を破り取って裏から紙を貼り、その上に墨書した箇所が何と千箇所以上あるという。1度に印刷された部数は2桁程度の単位でしょうが、それでも気の遠くなるような作業です。未だ写本時代のコスパ感覚が生きていたのでしょうね。

高木さんによれば、誤りだから訂正した、という場合に限らず、当て字を換えた例も見いだせるそうで、下村本平家物語はどうやら複数の平家本文を参照して、一旦印刷した文字を修整したらしい、中には延慶本平家物語を参照したかと思われる例もある、とのこと。現在では研究者が古態本として重んじる延慶本ですが、応永年間に根来寺で書写された後、俗世間に広く流布した証跡はありません。しかし近世には、蔵書家でもあり、嵯峨本などの古活字版制作にも関わった角倉素庵の許にもあったようで、この間の享受、流布の実態は殆ど知られていないのです(久保勇「延慶本平家物語の流布と伝来」花鳥社『無常の鐘声』2020)。延慶本を平家物語の代表本文であるかのように扱う今日の研究動向は、その点で大いに問題があるのですが、高木さんは最後にこの点にも触れています。