鴨東通信117

「鴨東通信」117号(思文閣出版)を読みました。有富純也・佐藤雄基対談「通史なき時代をどうとらえるか」と、大島真理夫さんの「研究史の世代間共有について」、高野信治さんの「知行論からのささやかな展望」を読んで、あれこれ考えさせられました。研究史とほどよい距離を保って自身の研究を貫徹することは、必須ではあるが意外に難しい。

私的記憶によれば、土地所有問題(荘園をめぐる力関係)がずっと歴史学の中心だった時期、文学の我々は、時代の雰囲気が見えないことにかなり苛立っていました。その後社会史がブームになって、面白いが、時代の転換の力源が見えない、と感じてきました。私などは歴史社会学派の志ある名文に惹かれながらも、マルクス主義文学史が解き明かせるとは夢にも思わず、「民衆の力」黄金伝説にはずっと反発してきました。

仮想敵(通説)を持つことが学問の進歩に必要なのかどうか、世代間で研究史を完全に共有できるものなのか、軍記物語研究の場合と引き比べて思うことが多かったのですが、重要なのは「仮想敵」に対する姿勢でしょう。通説に何故抵抗するのか、その上で何を構築する心算なのか、根底に孤独な決意がなければならない。独善ではない、しかし多数派に受けなくてもいい、そういう姿勢がないと対決は卑しくなりがちです。

本誌は宣伝誌ですが、読み終えて満腹感、それも「腹がくちくなった」とでも言うような満足感があります。前号にも鈴木蒼さんの「大江匡衡との再会」、河上繁樹さんの「染織品に導かれて四〇年」など、豊かな文章が満載されていました。承久記絵巻刊行の経緯を語る、長村祥知さんの「絵巻を出版するにあたって」もあります。

佐藤雄基さんの『御成敗式目』(中公新書)を読んでいる最中でもあり、歴史学にも新風か・・・と頁をめくるうち、明翔会の手嶋大侑さんの名を発見しました。