受難か加害か

8月も終わりに近づこうとしています。さきの大戦に関する言説は、9月1日の関東大震災百年を境に止むことになるのでしょうか。以前からずっと、心中に引っ掛かってもやもやしていることを書いてみたいと思います。日本人は被害者体験ばかり語って、加害者意識が薄い、もしくは後回しになっているという、戦後世代から、また他国からの批判に対して思うことなのですが、批判は尤もで、疎かにしていいわけではないものの、語る言葉が見つからないというか、どう考えればいいのか分からない事柄がある、それは実際の戦中体験をした人から、私のような遅めの戦後体験しかしていない者にまで、濃淡さまざまながら、ある。例えばこんな体験ー書いてみます。

「白衣の軍人」を知っていますか。傷痍軍人とも呼ばれ、戦地で負傷して働けないため物乞いをして(カンパを募って)生活を立てていた人々です。子供の頃、汽車に乗れば必ず、車両から車両へ、アコーディオンで軍歌を演奏しながら、白衣を着て戦闘帽を被った男性がやって来ました。2人連れで、1人は義足をつけていることもありました。街を歩けば辻角にそういう人たちがいて、アコーディオン奏者は立っているが、1人は松葉杖を脇に置き、土下座して頭を下げていました。何がしかの小銭を前にある空缶に入れる人が多かったと思いますが、私は子供心に堪らなく厭でした。どうして大の大人が土下座しているのか。こちらはいたたまれない。あの気持ちを今でも充分説明することが出来ませんが、何故、兵役での障害を売り物に頭を下げなければならないのか、可哀想とか気の毒とかではなく、一種の口惜しさと憤りと疑問が渦巻いて押し寄せてきたのです。

白衣の軍人は昭和30年代まで見かけましたが、その内偽者が増えたとして禁止されました。今でもあの無力感と向ける先の分からない怒りは、思い出す度に蘇ります。