女性歌手の軍歌

数日前、夕食後にBS-TVの懐メロ番組をぼんやり視聴、渡辺はま子菊池章子の戦中戦後の活動を知り、あまりに自分が無知だったことを恥じました。戦中戦後の女性歌手の歌はやたらにキーが高く、受動的な女性像の歌ばかりだと思っていました。しかし「星の流れに」や「岸壁の母」、それに「あゝモンテンルパの夜は更けて」などの歌詞とそれにまつわる逸話を知り、さらに詳しくウェブで調べてみて、目から鱗の連続でした。

湘南地方で暮らしていた子供時代、進駐軍ジープを走らせながら菓子をばらまいたり、真赤な口紅の女性が米兵に寄り添っていたりする光景を、1度は見た覚えがあります。電車内や駅前で、白衣の軍人と呼ばれる傷痍軍人が、1人はアコーディオンで軍歌を弾き、1人は地べたに手を突いて頭を下げている姿は、かなり後まで見かけました。NHKラジオには「尋ね人の時間」という番組があり、ハイケンスのセレナードというテーマ音楽で始まりました。昭和20年代の後半は、そういう時代だったのです。

戦時中は軍部、戦後は進駐軍からの干渉を受けながらも生き抜いてきた歌手と歌曲ーそれは大事な近代史だと思いました。有名なブルース歌手が断った「こんな女に誰がした」を、題名を変え、歌い方を工夫して歌い残した菊池章子。「岸壁の母」の息子は、じつは大陸で生存していたという後日譚があったこと。フィリピンの収容所で死刑執行を待ちながら作られたという「あゝモンテンルパの夜は更けて」を、慰問した渡辺はま子が捕虜たちと共に合唱し、さらに「君が代」を歌った録音が残っているのが凄い。私は「さらばラバウルよ」「暁に祈る」などと同様の軍歌だと思い込んでいたのですが、事情を聞いた比国の大統領が恩赦を実施したことも初めて知りました。

詳細はウェブで知ることができます。知っておくべき戦後史です。