続・遠いビルマ、近いミャンマー

昨日書いた文章が意を尽くしていないので、少し書き直し、補充します。

ミャンマーのクーデターに対する民衆の抵抗を報じるニュースを見ながら、何故3本指を立てるのだろう、三権分立?と考えたりしていたら、SF映画のシーンから生まれた抵抗のサインで、以前から使われていたのだそうですね。また在日ミャンマー人が、日本の安全保障政策と平和主義を高く評価していて、民主化運動への応援を求めたことを知り、ちょっと誇らしくもありましたが、(嬉しい)誤解でもあるよなあと思いました。今の日本がミャンマーを見る目は、専ら労働力と市場開発の対象としてらしいが、鎖国状態にあると思っていた彼国から、これだけ多くの人が滞日中とは意外でした。

ビルマの竪琴』が批判を浴びて、殆ど顧みられなくなったのは、机上で書いたロマンチシズムの甘さ(僧侶は音曲には携われないなど)もあったでしょうが、思い出してみると、戦後ヒットしたヒューマニズムに基づく戦争文学を、片端から叩き潰した時期がありました。軍隊や戦歴の細かい部分が事実通りでないという批判、現実の戦地は甘くないという批判、そして戦争を美化する役を果たしているという批判。それらが文芸批評として果たして当たっていたのか、また戦争体験を語り継ぐという行為について十分に論じられたのか、そろそろ冷静に検証されてもいいのではないかと思います。

子供の頃愛読したあの本は、親の蔵書と共に処分してしまって手許にないのですが、作者には、誰が鎮魂をするのか、という問題意識があったのではないでしょうか(竪琴を肩に掛けて、死屍累々の戦場を歩く僧侶の姿には、あるいは西洋の教養にコーティングされた、琵琶法師の面影があったかもしれません)。

権力の興亡、軍事力の恐ろしさと虚しさ、鎮魂ー私たちの文学史にはかつて、それを語る物語がありました。昭和の文芸では、どう試みられてきたのでしょう。