1票の重み

このところ考えるのは、比例代表制で当選した議員は、立候補時の政党を離れたら同時に議員資格を失うのが妥当ではないか、ということです。有権者は、その議員に投票したのではなく所属政党に投票しているのだからです。不祥事を起こしても所属政党を離れれば個人の自由だ、と言わんばかりの昨今の風潮にも疑問を感じますが、選挙の洗礼を受けたことを錦の御旗にするなら、制度の論理に一貫して忠実であって欲しい。

1票の格差、票の重みの公平性が裁判で争われ、過疎地の議員定数を削って都市部に移すのが正義であるように言われるのですが、人口比の数値だけで見ればその通りには違いないけれど、地方勤務の経験のある私には、いま一つ割り切れない感がある。何故候補者たちが、選挙カーや自転車に乗って選挙区を走り回るのか考えてみれば、投票に当たって直接、人物を見、演説を聴くことに意味があるからでしょう。広大な選挙区と人口密度の高い地域とを同じ期間で回るのは、果たして公平か。いや現代はITもあればマスコミのCMもある、と言われそうですが、地方暮らしは、ある意味では都市部よりずっと忙しい。自分から情報を求めていくのは、簡単ではないのです。

一方で投票率が25%に満たない地方選もあり、「1票の重み」が現在有権者にどう自覚され、どれだけ有効に働いているかは、人口比以外の視角からも論じられていいのでは、と思ったりするのですが。

さきの大戦を食い止められなかった国民の責任が問われることに反対はしませんが、しかし国民の半数、つまり女性には参政権がなかったことを、戦後生まれは知っていますか。昭和21年春、私の母はもう亡くなっていましたが、それより8年ほど若い身内の女性が、浮き浮きと投票先を品定めしていたことは、かすかに記憶に残っています。