異次元の政策

「異次元の」少子化対策という語ほど、わけの分からない語はありません。空前の、という意味でしょうか。次元を異にしたとは、表と裏で意味の違う、つまり下心を隠したという意味ではないでしょうね。

そもそも躍起になって人口減少を食い止めるより、今より人口密度の低い社会での暮らしやすい制度作りを議論したらどうなのか。英仏の人口は日本の半分以下、ドイツも国土面積はほぼ日本と同じだが人口は少ないそうです。戦後すぐは産児制限が叫ばれ、国土が狭く資源も少ない日本の人口増加は、危機として語られていました。その記憶が残る世代の私には、どうも腑に落ちないのです。

税金や社会保険料を払う人口が減る、労働力が不足する、と言いながら、難民認定や外国人の定住を極端に抑制し続けるのも矛盾していると思います。外国からの流入人口を納税能力のある、労働力として期待できる人材に育てる制度を、真剣に模索したらどうなのか。今回の入管法改定は逆方向を向いています。日本語や日本社会の習慣を一定水準まで教えるシステムを設け、定住希望者にその習得を義務づける、といった制度を設ける方が、よほど生産的ではないでしょうか。

出産・子育てを支援する政策自体は否定しませんが、あまりに強調されると、国民のある年代だけ、それも子供を持つ人だけを優遇する政治とは公正なのだろうか、という疑問が湧きます。生殖を公的に促進されることにも何がしかの不安、抵抗感が拭えません。

一方で、児童虐待を救えず、匿名出産や養子制度やシングルマザーには積極的な支援の姿勢が見られない。「産めよ増やせよ」よりもまず、生まれてきた子たちを幸せに、育つはずの子たちを安全に守ろうとする行政が必要なのでは。今の、この次元の社会に。