源平盛衰記全釈18

早川厚一さんが中核になって続けている「『源平盛衰記』全釈(18-巻6-2)」(名古屋学院大学論集人文自然科学篇59:2)を読みました。志立正知さんが代表の科研費(C)jp22K00311を利用した、計8人の異分野研究者の共同作業です。今回だけでも抜刷にして90頁の分量ですが、三弥井書店刊の『源平盛衰記』(一)ではp200の5行目~211の5行目までに当たり、巻48までは天文学レベルの時間が必要らしい。

本文、源平盛衰記伝本の校異、語釈・諸本の異同・引用典拠・史料を参照した注解、引用研究文献が挙げられています。先行研究は博捜されており、各地に散らばる共同研究者間で、メールによる意見交換をした結果だそうです。ただ紀要連載のためスペースの制限があるからでしょうが、注解内で述べられる諸本異同は掴みにくい。単行本化する時は注解とは切り離し、異同そのものを一目で把握できる工夫が欲しいと思います。

重盛の教訓状の冒頭部までが今回の範囲に入っていますが、漢籍からの引用や故事説話の考証が面白かった。以前から平家物語漢籍引用は、原典そのものからの生な形でなく、注釈書や他の文学作品からの再引用、また伝承された過程での変容を被った形であることが言われてきましたが、p75~68(p七〇から七七)辺りの指摘は興深く読みました。重盛の説く四恩の第一に「天地恩」が挙げられているのは珍しいのだそうです。詩経の1節が日本では原意とは異なる意味で使われたこと、耳を洗う故事の主人公は不確定なこと等々、探せば山のように面白い例があるのでしょう。

なおp125(p二〇)、「論ず」はここでは言い争う、抗弁する意。「誠しげ」はほんとらしい、尤もらしい、と訳すのがよい。「にくたらしい、抗弁しているあの顔の、何と尤もらしいこと!」といった訳が、落ち着くと思います。