前田家本承久記

原田敦史さんの論文「前田家本『承久記』論」(東京女子大「日本文学」119号)を読みました。前田家本承久記は流布本の改竄本ではない、とする「『承久記』諸本論の検証」(『平家物語の表現世界』花鳥社 2022所収)の続稿だと添え書きがありました。

承久記の諸本は4種、古態本とされる慈光寺本、近世に出版された流布本、吾妻鏡を取りこんだ承久軍物語のほかに、前田家本の位置づけについて議論が分かれていますが、本論文では、前田家本の論理ー承久の乱に対する観点の相違に注目して、そもそも流布本とは異なる歴史叙述なのだ、と論じます。

原田さんは前田家本が冒頭、承久の乱の原因を頼朝開幕まで遡り、地頭という制度を置いたところから語り始めることを指摘し、前田家本は幕府という組織・集団の存在そのものが対立を生んだとの前提に立っている、と説きます(慈光寺本も、ほぼ同じ文章で義時の後鳥羽院要求拒絶を述べていますが)。以下、前田家本が、頼朝を継ぐのは源氏であって、北条義時はその補佐役に過ぎないとしていること、地頭職は自らの命を賭けて頼朝から賜った恩賞なのであるとすること、身をも惜しまず命をも顧みず闘う武士の姿を好んで描く傾向はその点と関連するであろうことを説いてゆきます。

うーん、読みから入る諸本論、作品論から成立論へ及ぶ、とはこういうことか、としばし考え込んでしまいました。魅力的な方法ではあるけれど、果たしてどうか。別の観点から論じて補強できるかどうかが、今後の勝負かも。

なお注15、「義時が義村のことを、「三代将軍蘇生りてわたらせ給ふとぞ見奉」とさえ言っている」とするのは疑問。前田家本の当該箇所を見ると、義村は義時を「三代将軍の御形見」と言っており、「この場に将軍が戻って来られたかのようだ」の意では。