「ひととせ」裁判

米国の大学で日本語・日本文学を教えているセリンジャーさんから、謡曲の詞章についての質問メールが来ました。彼女は最近、謡曲に取り上げられた中世の裁判制度に関心を持ち、「盲沙汰」(中世の作品名なので言い換えようがない。勿論差別的意図はありません)という曲について、国際的な研究集会で発表する準備をしているそうです。

この曲の成立年代などは分かっておらず、①『自家伝抄』という16世紀前半に作られた金春系の能の作者付では、禅竹作[1405~1470ころ]の項目に入っている ②『言経卿記』慶長5年(1600)6月28日の条に「目クラサタ」の記述があり、山科言経の手元にあったことがわかる ③織田信長が1582年に徳川家康供応のため能を催したとき、梅若座の役者が本曲を演じ、セリフを忘れたので織田信長が激怒する事件があったとのこと。

祖父・父の地頭職を継いだ盲目の六郎に、母の異なる弟菊若がいて、それぞれ下人の左近丞と伯父の信夫九郎とが味方に付き、惣領職をどちらに継がせるか、鎌倉での裁判で兄弟を対決させます。六郎が「ひととせ祖父が死去した時」と言ったのを聞きとがめられて、1年前ではないはずだとの指摘に、「ひととせ」という語には、「1年」という意味と、「かつて」という意味との2つの用法があることを、源平盛衰記巻48の例を挙げて説明します。菊若はそれを聞き、自分自身は六郎と争う気はないと言って、めでたしめでたし。文芸の用例を引用し、風雅の世界での論争を訴訟に置き換えて、継子譚の枠に嵌め込んだものでしょう。

私が興味を持ったのは、裕福に育てられた菊若が古今集を引くのに対し、六郎が源平盛衰記を引くこと。盲目ゆえに平家を引いたというより、両者の教養の領域が異なることが暗示されている、と思いました。菊若は叡山の稚児になり、六郎は地元に残ります。