白い日傘

内山美樹子さんの訃報に接しました。内山さんとの初めての出会いは、昨年、このブログに「文弥節」と題して書きました。昭和47年(1972)、私は大学院生で、故鳥越文蔵さんの率いる佐渡浄瑠璃の調査ツアーに便乗させて貰いました。私は、浄瑠璃は享受者以上ではなく、ただの観光客同然でしたが、いま思えばとても貴重な体験でした。潮風に交じった、稲田を渡る甘い香りの風を思い出します。

私が同行したのはツアー前半の、いわば聞き込み調査の段階でしたが、内山さんは誰よりも積極的に、どんな小さな情報の元へも足を運んでいました。白い日傘を差したまま、どこへでもさっさと進んで行きました。

当時は自分は未だ子供、内山さんは大人、と勝手に部類分けしていたのですが、いま享年を見るとあの時32歳、私よりも3年しか年長でなかったのですね。

その後の活躍は承知していましたが、再会したのは平成23年(2011)4月、私が主宰する共同研究で、伊藤りささんに公開講演をお願いした時でした。特にお招きしたわけでもなかったのに、内山さんが会場に見えているよと教えられて吃驚。お久しぶりです、と挨拶を交わしましたが、内山さんは余計なことは何も言わず、伊藤さんの発表にぴしぴしと質問・提言をなさり、さっと帰って行かれました。40年前と全く同じでした(伊藤さんのひらかな盛衰記に関する講演「源平物浄瑠璃の作劇手法について」の要旨は、『「文化現象としての源平盛衰記」研究 第2集』に掲載されています)。

私たちの世代は、前を行く女性研究者(プロになった人は数えるほどだった)の背中を見つめ続けてきたので、たった2度の接触でしたが、大先輩を見送るような気持ちになります。ウェブ上の遺影は、半世紀前とちっとも変わらない。 合掌。