影印本

駒澤大学の村上光徳さんと共に、「校本長門本平家物語」の作成を思い立った頃のことは本ブログに連載しましたが、当初は国語学の木村晟さんとの3人でやろうという話でした。その後ぐずぐずしている内に(村上さんが忙しかったり、校合に使う伝本の絞り込みにいま一つ躊躇があったり)、麻原美子さんの企画が先に始動しました。

未だ若かった木村晟さんにも何度かお目に掛かりました。古辞書の研究が専門の木村さんは、すでに山内潤三氏と共に『平松家旧蔵本平家物語』の影印を出しておられました(S40=1965 古典刊行会)。それまでは平家物語異本の影印は珍しく、長沢規矩也氏の『延慶本平家物語』(汲古書院3冊本 S39=1964)が出ていただけで、未刊国文資料や謄写版刷私家版の翻刻を使っていた時代です(ちなみに、その後源平闘諍録の翻刻・影印は何度も出ましたが、未刊国文資料の源平闘諍録翻刻は、よく出来ています。一方同叢書の中院本翻刻は、独力の作業だったために脱字その他ミスが多く、研究者の使用には耐えません。後年、校訂中院本を出版したのはそのためです)。

その時(昭和50年代です)の木村さんの思い出話では、平松家本(当時は過渡本として古態性が注目されていた)の影印を公刊しようと思い立った際、どこの版元でも技術的に難しいと言われ、頓挫しそうになった、しかし写真見本を持って印刷所を訪ね歩くうちに、職人気質を刺激されて、うちでやってみます、という所が出てきた、何でも熱意を保って根気よくやっていると道が開けるものだ、ということでした。

後に、影印本は写真を撮って印刷すればできる訳ではなく、ゲラと現物を見ながら、薄れている箇所や読みにくい箇所に手作業で修整を施す、高度の職人芸の賜物なのだということも知りました。影印本の刊行は、その初期には「下町ロケット」だったのです。