失敗を問う/問わない戦記

井上泰至さんの「「失敗の本質」を問う/問わない戦記・絵巻ー文禄・慶長の役言説・表象の彼我ー」(日文協「日本文学」7月号)を読みました。先日の説話文学会で触れながら、時間の制約のため割愛した部分が読めるようにと送ってくれたのです。

いわゆる文禄・慶長の役(朝鮮側からは「壬申倭乱」という)で、天正20年(1592)に日本軍が釜山を落とし、東莱府城を包囲した時の合戦は、日朝双方で戦記や絵画資料に録し残されています。戦記では柳成龍『懲瑟録』、『宣祖修正実録(朝鮮王朝実録)』(1657)、馬場信意『朝鮮太平記』(宝永2年1705刊)、絵画資料では「東莱府殉節図」、それを承けて描かれた「壬申倭乱図屏風」(和歌山県立博物館蔵)、「倭寇図絵巻」(東大史料編纂所蔵)、「朝鮮軍陣図屏風」(鍋島徴古館蔵)などを取り上げ、比較考察しています。

この時の合戦では、開戦前に偽って逃亡した李珏と、落城しても節を曲げずに殺された宋象賢とが次第に対比されて描かれるようになり、強調されていったという。絵画資料では、日本軍は両刀を振り上げ(倭寇のイメージで描かれたらしい)、秩序なく攻め込むのに対し、救援軍を歓迎する民衆が描き込まれ、英雄化した宋象賢が軍神のように描かれます。井上さんは、朝鮮では敗因を問う『懲瑟録』のような戦記から、日本国王降参との虚誕を語る歴史小説『壬申録』まで、清朝に征服された敗北意識の影響、正しい中華文明は朝鮮にこそ残っているという意識に基づく表現の変化があったと推測します。言説・表象の変化の背景が大きく捉えられるのが痛快で、有益です。

本誌には青木亮人さんの「俳句そのものを読むということー『と』を中心にー」という好論も載っていて、思索の活性化を味わえる貴重な機会でした。