師直の横恋慕

小助川元太さんの「教育学部の学生と読む古典文学ー必修科目における『平家物語』『太平記』の読みの実践を中心にー」(「中世文学」66)は、教員養成課程の学生と共に議論しながら軍記物語本文を読んでいく、優れた実践報告です。前半の「扇の的」について異存はありませんが、後半『太平記』「塩冶判官讒死の事」の解釈について、引っかかりました。

美人妻への師直の横恋慕がもとで、南朝方の塩冶判官高貞が滅びる話ですが、薬師寺公義の代作した歌を見せられた高貞妻がなぜ「顔うち赤め」たかについて、女子学生の1人が、師直のストーカー的フェティシズムを嫌悪したのではないかと読んだのを、教師は現代的すぎると反論したそうです。そうかな?物語の意図の第一は兼好の恋文が失敗し、公義の和歌が成功を収めたという点にありますが、高貞妻の反応は悪くはない(彼女もまんざらではない)という解釈は、現代にあっては誤解を招きそうです。しかも小助川さんは注17で、異本をその補強に使っている(異本はべつの物語でしょう)。

私も文学部でこの話を講義したことがありますが、兼好と公義の対比のほか、自己中心的であくまでも物質的、肉欲的な師直(湯上がり姿の彼女を覗き見して、腰が抜けてしまう滑稽さ)に対し、和歌の巧みさに急所を衝かれて赤面した(手紙を捨てたことが失敗だったと知る)妻、負け戦と知りつつ主を守って斃れていく高貞の家臣たち、という構図でこの悲喜劇を読みました。異本の天正本には妻が高貞に自らの無実を語り、生死を共にしようと口説く場面もあります。「まんざらではない」と一瞬でも思ったら、『太平記』の中の彼女は分裂してしまう。

読みは難しい。しかし文学の教師は、読む技術を磨かねばなりません、知識ではなく。