政治家の握手

週刊文春」6月17日号を買って読みました。お目当てはJOC経理部長、コロナ感染対策分科会、汚染輸入野菜等々の記事だったのですが、意外な収穫があったので書いてみます。一つは土屋賢二のコラム「ツチヤの土車」。「従順のすすめ」と題して、尽くすことによって支配する(相手を依存させる)方法を書いています。なるほど、そういうものか!しかしこれは、どちらが屈服しても結果が同じ、という場合に限られます。異なる結果を目指している相手には通用しない。

もう一つは、阿川佐和子の宮沢エマへのインタビュー中で語られた、故宮沢喜一首相の挿話でした。元首相の長男や孫が俳優(タレント)として活躍する例を、最近よく見かけますが、この人のことは知りませんでした。我が家にも宮沢喜一の挿話は幾つか伝わっており、「頭の回転がよすぎて」というコメントは共通します。

インターナショナルスクールに通う15歳の孫に、「アラファトと握手したことがあるよ」「彼の手は柔らかかった。どういうことかわかるか?」と語ったという。訊き返す孫への返事は、「政治家になったってことだよ」だったそうです。政治家の握手とはそういうものか!と、目から鱗が落ちる思いでした。パレスチナ問題のキーパーソンだったアラファトが武力による解決を断念し、ノーベル平和賞を受賞、しかしその後の交渉ごとはうまく行かず、失意の中に亡くなった(暗殺説もある)ことは、現代の世界史では抜き差しならない事実です。

久しく銃を握っていない、自らそれでよしとする革命家の転身を、一瞬の間に読み取られた握手。政治家の日々は、緊張に満ちたものでなければいけない。現在のグータッチや肘押しは、彼らにとっては、ウィルス以外の理由でも安全なのかもしれません。