愛称

米国新大統領との電話会談の第1声に弊国の首相が、愛称で呼んでくれ、そちらもそう呼んでいいか、という意味の話から切り出した、という報道に、傷ついています。恥ずかしい。未だ逢ってもいない相手に向かって、公式の電話で、何を言い出すのか。先方は吃驚したことでしょう。そもそも客観的に、弊国と米国とが現在、対等規模の外交相手だと見る人がいるでしょうか。

ロン・ヤス外交を自称した首相以来、米国大統領とファーストネームで呼び合う仲だと吹聴することが、日本国首相にとってのステイタスだと考えているふしがある。独逸や仏蘭西の首相が、そんなことを自ら言い出すでしょうか。山荘に招待したり、一緒に焼鳥かハンバーガーを食べに行ったりして、親交を深めた席でならともかく、就任初の国際電話でそんなことを申し出るのは、敗戦国、被占領国の首相だからだと公言しているようなものです(私は、敗戦に傷ついた世代よりも後の世代ですが)。

あの人と「俺お前」で呑んだとか、「○○ちゃんは・・・」とか話す人の現場を目撃した経験からいうと、じつは相手方はそういう態度ではないことが多い。そんな話し方をする人とは距離を保っておかなければいけない、もしくは親しくないことを周囲に見せておく必要がある、というのが、若い頃に酒席で学んだ教訓でした。

愛称とは他人がつけてくれるものでしょう、自分の気に入るかどうかはともかくとして。ガースー発言といい、ヨシと呼んでくれ電話といい、何か根本的に勘違いしている。現首相の使命は、厄介なCOVID19の感染拡大を抑え、日本の経済構造を、コロナ後に適合する方向へと引き向けていくこと。もしそれが出来れば、それなりに記憶に残る政治家になれるはずです。どんな愛称で呼ばれるかは、後世に任せなさい。